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お世話になっております。

今日は午前中から宇都宮も積雪となりましたが、15時ぐらいにはやんで太陽がうっすらと見えました。

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知人の方で、いつ亡くなってもおかしくないぐらいのご高齢の方が、彼岸に入った庚申の日で、食止めとなり、危篤状態が続いておりました。私は特に断易など立てる気も起きませんでしたが、丁度、その方の誕生日が近づいていたことと、季節の分岐点でもあり、いつ大往生されてもおかしくない、と思っておりました。そしてそこを乗り切っても、更に、4月16日からの春の土用入りとなり、強い土星にてこちらは亡くなる方が多いといわれているようです。

一つ一つ、農歴の季節のイベントをみてみましょう。

◎(参考 Wiki様:彼岸)


彼岸(ひがん)とは、日本の雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)である。この期間に行う仏事を彼岸会(ひがんえ)と呼ぶ。最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」(あるいは地方によっては「はしりくち」)と呼ぶ。 俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。

◎語源:
サンスクリットのpāram(パーラム)の意訳であり、仏教用語としては、「波羅蜜」(Pāramitā パーラミター)の意訳「至彼岸」に由来する。Pāramitāをpāram(彼岸に)+ita(到った)、つまり、「彼岸」という場所に至ることと解釈している。悟りに至るために越えるべき迷いや煩悩を川に例え(三途川とは無関係)、その向こう岸に涅槃があるとする。
ただし、「波羅蜜」の解釈については異説が有力である。

◎歴史:
延暦25年(806年)、日本で初めて仏教行事としての彼岸会が行われた。『日本後紀』延暦25年(806年)2月条に、「毎年春分と秋分を中心とした前後7日間、「金剛般若波羅蜜多経」を崇道天皇(早良親王)のために転読させた」。そして3月17日に朝廷の太政官から「五畿内七道諸国」の、国分寺の僧に春分・秋分を中心とする7日間に金剛般若波羅蜜経を読ましむ命令が出ていて、これを命じた太政官符では以後恒例とするようにしていて、これが、後に彼岸会になった。



このように春分、秋分は非常に重要な暦の分岐点でございまして、特に、崇道天皇(早良親王)の怨霊問題から端を発し、死者の怨霊を放置すると天地に災いが起こることをおそれた我々の先祖達は、これを体系立てて国家として徹底的に鎮める儀式をやっていたのが全国に点在する国分寺や国分尼寺の存在のようです。国分寺の正式名称が「金光明四天王護国之寺」、国分尼寺が「法華滅罪之寺」と名の如くです。これらの流れがお彼岸につらなっているため、皆さんのご家族のお彼岸に行くこと、重要なこと分かりますよね?で、できるだけ、彼岸の中日たる、春分の日、秋分の日に先祖供養すべきですよね、その前後、3日ずつは六波羅蜜の実施にあてるべきだと。

◎(参考 Wiki様:六波羅蜜)


波羅蜜(はらみつ、パーリ語: पारमि、Pāramī、 パーラミー、サンスクリット語: पारमिता、Pāramitā、 パーラミター)とは、仏教において仏になるために菩薩が行う修行のこと。

◎大乗仏教
六波羅蜜(ろくはらみつ、ろっぱらみつ、梵:Ṣatpāramitā)とは、大乗仏教で説く悟りの彼岸に至るための6つの修行徳目。六度彼岸(ろくどひがん)や六度とも呼ばれる。

布施波羅蜜 - 檀那(だんな、Dāna ダーナ)は、分け与えること。dānaという単語は英語のdonation、givingに相当する。具体的には、財施(喜捨を行なう)・無畏施・法施(仏法について教える)などの布施である。檀と略す場合もある。
持戒波羅蜜 - 尸羅(しら、Śīla シーラ)は、戒律を守ること。在家の場合は五戒(もしくは八戒)を、出家の場合は律に規定された禁戒を守ることを指す。
忍辱波羅蜜 - 羼提(せんだい、Kṣānti クシャーンティ)は、耐え忍ぶこと。
精進波羅蜜 - 精進毘梨耶(びりや、Vīrya ヴィーリヤ)は、努力すること。
禅定波羅蜜 - 禅那(ぜんな、Dhyāna ディヤーナ)は、特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること。
般若波羅蜜 - 慧(え、Prajñā プラジュニャー)は、慧波羅蜜とも呼ばれ、十波羅蜜の智波羅蜜とは区別される。前五波羅蜜は、この般若波羅蜜を成就するための階梯であるとともに、般若波羅蜜を希求することによって調御、成就される。


龍樹は『宝行王正論』においてこの6項目を以下の3つのカテゴリーに分けて解説している。

布施・持戒 -「利他」
忍辱・精進 -「自利」
禅定・智慧 -「解脱」


龍樹によれば、釈迦の教えとは要約すれば「自利・利他・解脱」の3つに尽き、「自利・利他・解脱」はすべて六波羅蜜によって包摂されるため、阿含経に根拠を持たない大乗独自のこれら六波羅蜜も仏説であるという。



上記の六波羅蜜と更に、六種供養が連携するのです。

〇布施:閼伽(あか)⇒ご仏前にお水をあげること。
持戒:塗香(ずこう)⇒手や身にお香をつけて清めます。
忍波:華鬘(けまん)⇒お花をささげること。
精進:焼香(しょうこう)⇒お香に火をつけ捧げること。
襌那:飲食(おんじき)⇒飲食を供える、供物を供える。
般若:燈明(とうみょう)⇒蝋燭を供える。


このような仏教のベースとなる哲学がありまして、このような意味を知って、意味づけて、行為を行うことが大切だとされています。

さて、彼岸は暦の世界から仏教に入り込みますのでこのぐらいにして、次へ行ってみましょう。庚申は先日やりましたね。気になる方はこちらをお読みください。

(参考:天変地異、3月18日、庚申の日は善悪が出る日。庚申の神その力を示現す。追って、22日は甲子日。秘仏、三面大黒天祭挙行予定!霊符作成予定!あれ?前日に鬼遁が回座?)


そして、春分の翌日、3月21日に奇門遁甲の吉方で鬼遁が発生したため、これを使って、長福寿寺さんと、安房神社さん詣でをやったわけです。鬼遁の力についてはこちらを。

(参考:『奇門遁甲鬼遁霊力符 東照大権現守護 開運成功守護霊符』頒布!吉方連荘取得、奇門遁甲「鬼遁」例外盤にチャレンジ!東照大権現に守護を願い、二荒霊水を使い、新作法書で大開運霊符を謹製!)


(参考:夏至に奇門遁甲最強方位、鬼遁日盤を取得する その1)

(参考:夏至に奇門遁甲最強方位、鬼遁日盤を取得する その2)

(参考:来た!これが鬼遁の力か!頼朝公の勝利の方程式、石橋山の激戦と安房逃亡からの逆転イメージを我が事業と合い重ねる)



更に、(参考 Wiki様:暦注下段)でも見てみましょう。


〇3月21日(癸亥):(行軍した日)

(七箇の善日)神吉日 ⇒かみよしにち、かみよしび。暦には「神よし」と書かれます。 神事に関すること、すなわち神社に詣でること、祭礼、祖先を祀ることに吉とされるようです。不浄事には凶とのこと。この暦注は、日本独自のものだそうです。
(七箇の善日)母倉日 ⇒母が子を育てるように天が人間を慈しむ日という意味で、「七箇の善日」の一つです。何事にも吉で、特に婚姻は大吉とされます。また、普請・造作も吉だそうですl。

〇3月22日(甲子):館山で一泊して安房神社で祈祷を受け霊水を持ち帰り、三面大黒天祭をした日

(七箇の善日)天恩日 ⇒てんおんにち。暦には「天おん」と書かれます。名前の通り、天の恩恵を受ける日で、吉事に用いて大吉でありますが、凶事に用いてはならないとされています。
(七箇の善日)月徳日 ⇒つきとくにち、がっとくにち。 家の増改築など土に関わる行いに吉とされます。
(七箇の善日)母倉日 ⇒(前述済みです)



甲子日だけでもかなりありがたいのですが、いろいろ被っていたようです。

そして、3月22日は、甲子日、60干支の初めにして、大黒天の縁日。館山から帰還後、急ぎ、自宅神殿にて三面大黒天祭を挙行したわけです。安房神社の霊水を使いながら。今までも数々の奇跡を起こしてくれました。今回はこれだけいろいろな暦のパワーが重なっているわけですので、非常に強いエネルギーとなっております。

運命ダッシュボードの様子はこちら。(どれだけ奇門遁甲や霊符が効くのか、自ら人体実験をやって得た運命バロメーターの様子)

(参考:霊符パワー炸裂!ここ数ヶ月の驚異的な吉祥のご報告と冬至に向けた開運霊符謹製について)

(参考:四柱推命の運がよくなるってどういう状態なのか?何故、奇門遁甲でないと効かないのか?また何故に霊符、呪符が効くのか?)

先日のを交えて三面大黒天祭はこちら。

(参考:彼岸の中、奇門遁甲鬼遁方位を取り、宝くじ番組で有名な長福寿寺さんに立ち寄り、関東最南端の館山へ。翌日の甲子日に安房神社霊水を取得し帰還後、三面大黒天祭を挙行!極希少霊符作成!)

(参考:雨の東京駅を後にし、一路、北方、宇都宮へ。翌日、三面大黒天祭挙行!六十干支最初の甲子日、我が神殿の三面大黒天を始めとする諸天の厨子を開き、勤行三昧の境地に至る。気がほとばしる週末の朝、魂の炎を感じつつと東京へ戻る)

(参考: 先日は羽黒山神社で霊水を賜り霊符作成。今週末、11月23日は六十日に一回の甲子日!三面大黒天祭、挙行の準備!!)

(参考:白蛇弁財天の霊亀の亀甲は奇門遁甲そのもの。弁天霊水を賜り、兵法の究極たる天守閣の気を賜る。彼岸、秋分の供養、そして明けの甲子日という最高のタイミング。深夜早朝、あの奇跡を起こした三面大黒天祭を挙行!)

(参考:甲子日、子の刻に三面大黒天神祭挙行!北斗七星霊符、破邪・供養系一式のご要請の霊符に日光の風水曼荼羅の中枢である摩多羅神、波之利大黒天の霊気を融合させる)

このように、暦の流れをしり、己の四柱推命を知り、流れに沿って、奇門遁甲を駆使して吉祥を呼び込み、避凶、破邪を成すわけです。そして、深山幽谷に染みわたった天地の気がこもった霊水を、暦に従って、最強レベルまでパワーをあげ、その上で、暦に従って、神仏に祈ったうえで、霊符を作成するわけです。

先ほどお話した亡くなった方はなんと庚申待ちや月待ちを経験されており、地方にはまだまだ信仰が残っていことに感動しました。その方と以前お話していた際、私はこのように、当たり前のように話すものですから、

「庚申待ちを知っている方がおられるとはね。そうだ、(私が)若いころ、東京にいた時はアメリカの大空襲が来て、一面火の海で死体だらけだったですよ。のりえもんさんはその時、どこにいなさった?」
などと、昔を懐かしむようにいわれて、

「いえいえ!私はまだ生まれておりませんよ!」と、どっと笑いに包まれたのが懐かしく思いました。

何事も原理原則をしって、哲学、概念をしって、法を行使すべきですよね。一遍の曇りなく、一遍の淀みなく、いただいた法を駆使するのみですね。

かつて、平安京移転に絡む奇門遁甲使いでもあり仏教による鎮護国家を図った桓武天皇がはった護国の結界が再び必要になる、そう思っております。あの最悪の武漢ウイルスに対抗するため、更には、それ以上に襲ってくる敵から護国をするため。

引き続きよろしくお願いいたします。


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お世話になっております。

先週末は、また神田。小野先生の断易NEXT科の授業の日でして、その後、軽く忘年会でした。忘年会ラッシュが続いておりますが、良いお酒でしたね。いろいろと占い談義をお聞かせいただきました。

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さて、いよいよ季節の極みである冬至が近づいてきましたね。先日も書きましたが、21日に霊水を酌み、22日の冬至に霊符を作成します。まだエントリー枠若干余っていますので、ご希望の方がいらっしゃいましたらよろしくお願いいたします。エントリーは12月21日中まででしたらOKといたします。(流石に翌22日は祈祷と霊符作成を始めるので勘弁してください)

※詳しくは以下の記事をご参照ください。
(参考:霊符パワー炸裂!ここ数ヶ月の驚異的な吉祥のご報告と冬至に向けた開運霊符謹製について)

※ご希望の方は、ブログトップのリンクか、以下のリンク、

【紀右衛門へのお問い合わせ】からお願いします。

そもそも、(参考 Wiki様:冬至)とは、
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〇特徴
北半球では太陽の南中高度が最も低く、一年の間で昼が最も短く夜が最も長くなる日。
『暦便覧』では「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と説明している。

〇習俗
冬至には太陽の力が最も弱まった日を無事過ぎ去ったことを祝って、世界各地で冬至祭が祝われる。クリスマスも、イラン発祥のミトラ教の冬至祭儀やドイツ北欧のキリスト教以前のゲルマン人の冬至祭がキリスト教と混淆してできたものである。

〇朔旦(さくたん)冬至
古代には、冬至を1年の始まりとしていた。近世語で冬至を「唐の正月(とうのしょうがつ)」というが、これは中国で冬至を元旦としたからである。その名残で、現在でも冬至は暦の基準となっている。中国や日本で採用されていた太陰太陽暦では、冬至を含む月を11月と定義しているが、19年に1度、冬至の日が11月1日となることがあり、これを朔旦冬至(さくたんとうじ)という。太陰太陽暦では、19年間に7回の閏月を入れる(19年7閏)周期を「章」と称し、古い章から新しい章への切り替えとなる年を新しい章の最初の年という意味で「章首」と呼んだ。章首の年にはまず前の章の締めくくりに当たる7番目の閏月を迎え、その後に到来するその年の冬至をもって新しい章の開始とされた。そして、その章首における冬至の日は必ず朔旦冬至となるように暦法が作られるのが原則とされていた。

朔旦冬至が正確に19年周期で訪れることは、19年7閏原則に基づく暦が正確に運用されているということである。暦の正確さは、政治が正しく行われていることの証(あかし)であるとして、朔旦冬至は盛大に祝われた。中国では古くから行われ、659年に偶々遣唐使が唐の都・洛陽に滞在中で儀式への参加が許されている。日本では唐風儀式の取り入れに積極的であった桓武天皇の784年に初めて儀式が行われた。なお、11月1日は元々翌年の暦を天皇に奏進する御暦奏も行われていたことから、非常に盛大な行事となった。
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習俗の項で、若干、抜粋しておりますが、各自の生まれ十二支を祈る星祭が密教寺院では行われますし、冬至風呂の柚子湯、冬至粥、がぼちゃを食べる、こんにゃくを食べるなど様々な習俗があったようです。上記にあるように世界中にその傾向があったとは驚きですが。

さて冬至ですが、太陽が見える時間が一番短い=冬至を境に太陽の力が蘇る

と考えられ、冬至を1年の始まりにしていたようです。これが易卦の地雷復の姿に重なり、一陽来復ともなりこれから全てが始まり、陽転していく日として重視されたんですよね。以下のイメージです。純陰坤の下に一陽が現れるので時期は冬至の一陽来復を表すということのようです。

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更に、朔旦冬至(さくたんとうじ)となると、2014年を過ぎると、次は19年後ですので2033年まで来ないのです。19年に1度の割合で、朔日と冬至が重なる日らしいです。

それはそうと、冬至の重要性は我が国においては、桓武天皇爾来であったということのようです。こう見てみると、やはり良いタイミングで企画したと思っております。何故なら、小野先生のご著書(参考 Amazon様:最新 奇門遁甲術入門: 世界の華僑に巨万の富をもたらし続ける秘中の勝占)にあるように、平城京から長岡京および平安京への短期間の遷都が何故行われたのかを奇門遁甲で紐解くと、奇門遁甲の利用の痕跡があるからだと仰います。移動していった奇門遁甲の年盤の組み合わせを見るとそれが分かってしまうというのです。つまりは桓武天皇は奇門遁甲使いだった(若しくは配下の陰陽師にそのような方がいた)可能性が非常に高いです。

この観点は流石先生だと唸っておりますが、非常に重要だと思います。

今回のことも、私自身もあまり計算して知っていたかのように言うわけではなくてですね、講釈垂れるより、信じたらまず率先してやってみると心掛けておりますので、ずっと奇門遁甲の暦と方位を意識して生活していたら、段々、不思議に偶然が重なるようになってきた、このように自然な感じで冬至を振り返ったら、やっぱり、めちゃくちゃ重要じゃねーかと改めて理解を深めた次第です。つまりは自分自身が、天地の本来の暦の波動にあってきたのだと考えております。いい感じですよね?

私は奇門遁甲を密かに使っていたという、桓武天皇爾来の冬至の前日に奇門遁甲の吉方を取って深山幽谷の霊地の霊水を賜り、冬至の日、自宅神殿で大阿闍梨様に開眼していただいた秘密諸天に、伝授された作法で勤行し、更には小野先生からも賜った霊符作法を組み合わせて、一気呵成に霊符を謹製する、ということです。天地の気、つまりは時間軸なんでしょうね。これをそろえることで全てが静謐となる、ということでしょうか。

宇都宮に帰還し、ある夕方、空を見上げたら、薄赤く染まる地平線と飛行機雲が非常に美しい、冬の空でした。

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