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お世話になっております。

先週末は、また神田。小野先生の断易NEXT科の授業の日でして、その後、軽く忘年会でした。忘年会ラッシュが続いておりますが、良いお酒でしたね。いろいろと占い談義をお聞かせいただきました。

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さて、いよいよ季節の極みである冬至が近づいてきましたね。先日も書きましたが、21日に霊水を酌み、22日の冬至に霊符を作成します。まだエントリー枠若干余っていますので、ご希望の方がいらっしゃいましたらよろしくお願いいたします。エントリーは12月21日中まででしたらOKといたします。(流石に翌22日は祈祷と霊符作成を始めるので勘弁してください)

※詳しくは以下の記事をご参照ください。
(参考:霊符パワー炸裂!ここ数ヶ月の驚異的な吉祥のご報告と冬至に向けた開運霊符謹製について)

※ご希望の方は、ブログトップのリンクか、以下のリンク、

【紀右衛門へのお問い合わせ】からお願いします。

そもそも、(参考 Wiki様:冬至)とは、
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〇特徴
北半球では太陽の南中高度が最も低く、一年の間で昼が最も短く夜が最も長くなる日。
『暦便覧』では「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と説明している。

〇習俗
冬至には太陽の力が最も弱まった日を無事過ぎ去ったことを祝って、世界各地で冬至祭が祝われる。クリスマスも、イラン発祥のミトラ教の冬至祭儀やドイツ北欧のキリスト教以前のゲルマン人の冬至祭がキリスト教と混淆してできたものである。

〇朔旦(さくたん)冬至
古代には、冬至を1年の始まりとしていた。近世語で冬至を「唐の正月(とうのしょうがつ)」というが、これは中国で冬至を元旦としたからである。その名残で、現在でも冬至は暦の基準となっている。中国や日本で採用されていた太陰太陽暦では、冬至を含む月を11月と定義しているが、19年に1度、冬至の日が11月1日となることがあり、これを朔旦冬至(さくたんとうじ)という。太陰太陽暦では、19年間に7回の閏月を入れる(19年7閏)周期を「章」と称し、古い章から新しい章への切り替えとなる年を新しい章の最初の年という意味で「章首」と呼んだ。章首の年にはまず前の章の締めくくりに当たる7番目の閏月を迎え、その後に到来するその年の冬至をもって新しい章の開始とされた。そして、その章首における冬至の日は必ず朔旦冬至となるように暦法が作られるのが原則とされていた。

朔旦冬至が正確に19年周期で訪れることは、19年7閏原則に基づく暦が正確に運用されているということである。暦の正確さは、政治が正しく行われていることの証(あかし)であるとして、朔旦冬至は盛大に祝われた。中国では古くから行われ、659年に偶々遣唐使が唐の都・洛陽に滞在中で儀式への参加が許されている。日本では唐風儀式の取り入れに積極的であった桓武天皇の784年に初めて儀式が行われた。なお、11月1日は元々翌年の暦を天皇に奏進する御暦奏も行われていたことから、非常に盛大な行事となった。
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習俗の項で、若干、抜粋しておりますが、各自の生まれ十二支を祈る星祭が密教寺院では行われますし、冬至風呂の柚子湯、冬至粥、がぼちゃを食べる、こんにゃくを食べるなど様々な習俗があったようです。上記にあるように世界中にその傾向があったとは驚きですが。

さて冬至ですが、太陽が見える時間が一番短い=冬至を境に太陽の力が蘇る

と考えられ、冬至を1年の始まりにしていたようです。これが易卦の地雷復の姿に重なり、一陽来復ともなりこれから全てが始まり、陽転していく日として重視されたんですよね。以下のイメージです。純陰坤の下に一陽が現れるので時期は冬至の一陽来復を表すということのようです。

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更に、朔旦冬至(さくたんとうじ)となると、2014年を過ぎると、次は19年後ですので2033年まで来ないのです。19年に1度の割合で、朔日と冬至が重なる日らしいです。

それはそうと、冬至の重要性は我が国においては、桓武天皇爾来であったということのようです。こう見てみると、やはり良いタイミングで企画したと思っております。何故なら、小野先生のご著書(参考 Amazon様:最新 奇門遁甲術入門: 世界の華僑に巨万の富をもたらし続ける秘中の勝占)にあるように、平城京から長岡京および平安京への短期間の遷都が何故行われたのかを奇門遁甲で紐解くと、奇門遁甲の利用の痕跡があるからだと仰います。移動していった奇門遁甲の年盤の組み合わせを見るとそれが分かってしまうというのです。つまりは桓武天皇は奇門遁甲使いだった(若しくは配下の陰陽師にそのような方がいた)可能性が非常に高いです。

この観点は流石先生だと唸っておりますが、非常に重要だと思います。

今回のことも、私自身もあまり計算して知っていたかのように言うわけではなくてですね、講釈垂れるより、信じたらまず率先してやってみると心掛けておりますので、ずっと奇門遁甲の暦と方位を意識して生活していたら、段々、不思議に偶然が重なるようになってきた、このように自然な感じで冬至を振り返ったら、やっぱり、めちゃくちゃ重要じゃねーかと改めて理解を深めた次第です。つまりは自分自身が、天地の本来の暦の波動にあってきたのだと考えております。いい感じですよね?

私は奇門遁甲を密かに使っていたという、桓武天皇爾来の冬至の前日に奇門遁甲の吉方を取って深山幽谷の霊地の霊水を賜り、冬至の日、自宅神殿で大阿闍梨様に開眼していただいた秘密諸天に、伝授された作法で勤行し、更には小野先生からも賜った霊符作法を組み合わせて、一気呵成に霊符を謹製する、ということです。天地の気、つまりは時間軸なんでしょうね。これをそろえることで全てが静謐となる、ということでしょうか。

宇都宮に帰還し、ある夕方、空を見上げたら、薄赤く染まる地平線と飛行機雲が非常に美しい、冬の空でした。

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引き続きよろしくお願いいたします。


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