お世話になっております。

朝は神楽坂の珈琲館で朝食です。珈琲は400円ぐらいしますが、このセットはなんと160円!うまいです。

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職場最寄りの東京メトロ虎ノ門駅です。霞が関ビルディング方面に向かいますと、途中にエスカレーターと階段があり、階段の方には「史跡 江戸城外堀跡 地下展示室」などというものがあります。これは史跡見学しながら、出勤可能ですねw 今回はお昼休みついでに初めて行ってみました。

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ズバリ、この辺まで江戸城の外郭であったようですね。丁度、文部科学省あたりです。石垣は天下普請などにより拡張されていったようですね。何回か行われており、寛永期天下普請、寛永13年(1636年)に築かれたものだそうです。その際、全国の諸藩が手伝いにきておりまして、各藩のマークが石に掘られています。この図だと、丁場割されており、毛利家と戸田家が対応したようです。凄いですね、400年近くたってもまだ仕事の後が残っている。僕もこれ目指さないとなあw

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こちらが、遺構そのままの外壁です。各石に矢印マークが見えますでしょうか。

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なんと、伊豆半島あたりから石を切り出し船で運んだようですね。このような解説版があり、歴史好きにはたまりません。

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そもそも虎ノ門という名前ですが、虎ノ門交差点あたりにちゃんと門があったんですね。明治6年に撤去されたようですが。

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こちらは、拡大図です。今いる場所は、日向延岡藩内藤家上屋敷があったあたりのようです。外面反対側の先日ご紹介した金毘羅神社あたりには、讃岐丸亀藩京極家屋敷内の神社だったらしいです。あとはこの図には誰が普請をしたかの名前がはっています。戸田正安公、毛利高直公とかです。

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あら?何々?「四神相応の大道を表す「白虎」に由来すると言われる虎御門は、かつて外桜田門から続く小田原道が通っていたといいます。」とあります。やっぱり、風水思想が関係していたんですね。

堀の上の樹木も夏真っ盛りです

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こちらは、場所を変えて、文部科学省隣の史跡跡です。「地形を利用した江戸城外堀」とあります。そうです、野戦城で長篠の合戦で勝利した信長に学んだ、地形を使った野戦城こそ、家康公の真骨頂ではないでしょうか。つまり、自然そのままを利用する考え方です。この考え方で、(参考 Wiki様:小牧・長久手の戦い)で秀吉公を屈服させ、侵略を諦めさせ、五大老、そして秀吉公死後の天下への道が開けました。

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そして、利根川東遷事業によって、泥だらけの湿地を日本最大の平地が続く豊かな大地に変えたのでした。これは確かに自然を変えていますがあくまで東遷です。つまり、自然の力に真っ向から逆らうのではなく、合気道のように受け流した。ずっと、家康公の生き方はそんな感じなんでしょうね。

(参考:風水都市『東京(江戸)』における四神相応と『五帝霊符』について )

石垣には先ほども書きましたが刻印があります。

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石工の。。。。職人?フリーメーソン? w というとすぐに思い出すのが、銀座和光ビルw 例のカード、イルミナティカード、和光ビル倒壊。

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大丈夫すかね。日本新党が政権をとって阪神淡路大震災が起きて、民進党が政権をとって東日本大震災が起きてます。都民ファーストも、実は連合の支援が大きいようで、つまり、民進党関係のバックアップですね。しかも、小池さんは元、日本新党だしw

そんなことがあってもなくても、この石垣は残り続ける気がしますね。本当に良い仕事されてます、御侍の皆様。

お昼の連想ゲームの続きなのか、帰りに銀座により和光ビルを見上げ。

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ユニクロで洋服買いました。10階まで全部ユニクロってすごいですね。ともかく外国人の方が多い。

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お世話になっております。

中国のロビー活動は既にイスラエルロビーを超えているという話があります。第一次安倍政権頃は、中国がしかけた日本孤立化戦略は功を奏し、靖国神社問題を中心に、日本は悪の国として孤立していたのです。知ってましたかね?既に、アメリカは力はなしと韓国も相乗りし慰安婦問題でけしかけ、気が付けば日本に中国、朝鮮の息のかかった政権が誕生。そして、大震災がきたのでした。
ここまでは完全に圧倒していたのですが、ジョーカーをを引いたのは、AIIB事件です。ドル体制を引くアメリカ、そして寝ぼけていたオバマさんもこれには目が覚めて、中国封じ込め戦略に転換したようです。その後、上海株暴落、一気に隆盛していた中国が窒息していきます。その流れが韓国に波及し、慰安婦合意と流れていきました。そして、中国は反転して、世界支配者会議、ダボス会議で、「ナショナリスト(国粋主義)やめまーす!グローバル最高!」と嘘演説をし、トランプにも北朝鮮で協力するなど嘘をついて、懐柔してきたのです。この口だけ外交にしても、ロビー活動にしても凄い行動力です。ここは本当に侮れません。詳しくは以下の記事シリーズをどうぞ。

(参考 ダイアモンドオンライン様:中国がトランプ懐柔攻勢、日米関係が良好でも気を抜くな)

特に重要なメッセージを引用させていただきますが、「今年は、日中戦争開始から80年にあたる。1937年にこの戦争が始まった時、日本は、米国、英国、中国、ソ連を同時に敵に回していた。つまり日本は孤立したから戦争に負けたのだ。日本は歴史の教訓を活かし、孤立しない外交を展開していかなくてはならない」です。

人間関係でも、すぐに意固地になって怒らないで、我慢できるか?責任や仕事を投げ捨てず我慢できるか?その器が重要です。これが、四柱推命で言う、身強ということだそうです。でも、四柱推命で身中や身強でも、実際には精神力や、社会性を磨ききれず、感情を抑え切れず、すぐに激高して人間関係を断ち切るような人は、この訓練ができていないといえるでしょう。結果的に身弱の振る舞いとなってしまいます。
太平洋戦争の時は、なんと世界の果てのドイツ、イタリアと同盟し、孤軍奮闘していたのです。絶対に勝てませんよこれは。つまり、戦前の日本は四柱推命でみたら、身弱の人が発狂して周りの人全員と喧嘩をしかけた状況であったのです。これが、もし、イギリスなどとぎりぎりまで同盟を護り、「日本よ、ちょっと意固地でないかい?」と言ってくれる人の話に耳を傾ける度量、器があったなら歴史も変わっていたでしょう。まさに言われているうちが花、言われなくなったら御終いだと思います。

ところで、個人の身弱の人は考え方が印綬過多というか、自分に甘いです。自分の頭の中での判断もそうだし、身の回りの人間関係でもイエスマンに甘い。個人の方の身弱の内弁慶、内ゲバは、小野先生のお話しでは、うだつの上がらない40過ぎの娘が老いた母親に家庭内暴力するとかいう形で現れるようです。

では、これが集団だとどうなるか?そう、戦争末期の日本はどうだったか?簡単にいいますと、究極の内弁慶、内ゲバに向かいます。その一つが、神風特攻隊にも表れています。以下の終戦末期に作られた、人間ミサイル、飛行機版の(参考 wiki様:桜花(おうか))、魚雷型の(参考 Wiki様:回天(かいてん))に究極型として現れていると思います。一度、搭乗すれば、敵に突っ込み爆発して敵を巻き込み自殺するという狂気の兵器です。


(参考 youtube様:「ロケット特攻兵器 【桜花】 生き残った特攻隊員と開発者の証言記録 20110821 」)



(参考 youtube様:「人間魚雷回天 」)



御国のためだと、洗脳し、人間爆弾に乗せ、訓練させて、自殺させる。実被害にあったアメリカ軍も甚大な被害をうけていますが、輸送時に相当破壊されたようで、全体では無意味な取り組み、いや国家を挙げた内ゲバだったといえるでしょう。無条件降伏した時点の日本には5000機以上の桜花が作られていたようです。下手したら、我々のひいおじいちゃん辺りが死んでいて、我々も存在しなかったかもしれません。

間違えないでいただきたいですが、私は国家保障(ナショナルセキュリティ)に対して日本はもっと力を自己管理すべきだと考えておりますし、単純に反戦主義者でもありません。孤立すればろくなことがないという、人間の社会性は個人も国家も同じで、最後まで激高、感情による拒絶という浅慮にいかずに、心の柱を強く持ち、忍耐深く、社会に参画しつづけなくてはいけないと思っております。思考停止したものに未来はないのかと。勿論、その子孫にもです。

まさに、徳川家康公の遺訓

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。」


これこそ、生まれながらにして今川家の人質、義理の父(今川義元)と上洛したら、桶狭間で急死、その後、信長と天下布武に協力するも、武田信玄と戦い九死に一生を得て、その後、信長は本能寺で急死と何度も死の淵に立たされ乗り切ってきました。秀吉の台頭に忠実な部下を演じ、死後は勢力拡大し関ケ原でも兵力差があるなか政治力、つまり人間関係で忍耐深く、社会性を失わなかったから、敵味方が味方として結集し、結果、天下人になれたといえるでしょう。まさに、徳川家康公の遺訓は人生の身強の遺訓と思えませんか?

引き続きよろしくお願いいたします。

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先週の日曜は、また奇門遁甲方位取りをしました。目的地は奇しくも、奇門遁甲を使ったという説がある日本海海戦で活躍した戦艦三笠がある三笠公園の(参考:記念艦 三笠)へ。

方位が南しか開いておらず、そういう時はパワーも強力みたいです。奇門遁甲は単に方位の盤を算出すればよいのではなく、このように盤を自ら作成して掴める理解に、九天玄女の思いが込められていると思った方がよさそうです。
ともかく、この日の目的は、お客様の運命コンサルディングのお仕事があり、四柱推命を見るにあたってパワーが必要に感じていまして、甲丁の時盤をとります。(お陰でなんとか進みました、あと少しです。終わってからのブログ更新です。矢張り仕事に使うと強力に感じます)

(参考 Amazon様:「最新 奇門遁甲術入門: 世界の華僑に巨万の富をもたらし続ける秘中の勝占 (エルブックスシリーズ) 」)

(参考:奇門遁甲の真傳はどこからどこへ行ったのか?歴史だけがバロメータとなりえるのかと )


行くがてら、経路を間違えそうになったり、変な車に遭遇したりと、吉方ならではの現象を感じながら向かいます。

高速道路、横須賀に到着、海が開け、海上自衛隊の護衛艦が見えました。横須賀の町の中を通り過ぎ、三笠公園へ。周辺が満車で市役所のパーキングに置き、海岸通りを歩きます。何か南国ムードですよね。しかし、多いと思っていた在日米軍の方と思われる人が少なく、先日、テレビでやっていた北朝鮮の影響で基地の町から兵隊さんが消えているというのを思い出しました。

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ついにきました、三笠公園。始めてきました。東郷平八郎元帥が待っていてくれます。

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早速、(参考:三笠(戦艦))に突入です。

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全長130メートルぐらいあり、でかいです。

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海側からは、猿島がみえます。

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この日本海海戦で日本が負けていたら、ロシアの植民地になっていたと思われます。少なくても、イギリス、アメリカなどの列強諸国との分割統治になり、今の日本の国体(言語、文化、宗教など)は全く今の形ではなかったでしょう。それほど重要な戦いでした。対する世界最強と歌われたバルチック艦隊は、アフリカを超え1年ぐらいで日本に到着します。日英同盟がありスエズ運河を通されなかったので余計に時間がかかったのでした。イギリスは、ユダヤ財閥ロスチャイルド、ジェイコブエンリーシフ卿の資金援助もそうですが、戦艦三笠もイギリス、ヴィッカース社製ですし、前の記事に書いた高速巡洋艦、日進をイタリアに買い付けに行った時も、ロシアがスパイ映画よろしく追従しており、この時もユニオンジャックが翻えなければ、略奪、破壊されたかもしれません。まさに、007の世界です。

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この戦いは世界中に反響を呼びました。200年前までは世界中の黄色人種は白人の奴隷となり、ある万博では黄色人種が檻に入れられて陳列されるなど、機械文明によって植民地獲得合戦を広げていた世界でした。かつての大国インド、中国が割譲されている有様だったのです。その中に黄色人種の国が白人のしかも大国ロシアを撃破したのです。インド、ネール首相、ビルマのバ・モー首相、中国の孫文、をなど、アジア各国を奮い立たせ、白人側、イギリスやアメリカ各国、またロシアに苦しめられていたヨーロッパ各国などは絶賛し、子供の名前をトーゴーにしたり、フィンランドがトーゴービールを作ったり、それほどに影響を与えた戦いでした。
しかし、愚かな太平洋戦争でボロボロになった日本は、保存艦となっていた三笠は悲惨な状況となり、GHQ支配下では、「キャバレートーゴー」となり、こうした窮状を、イギリス人のジョン・S・ルービンが英字紙「ジャパンタイムズ」に投書、大きな反響を呼び、さらにアメリカ海軍のチェスター・ニミッツ提督が三笠の状況を憂いて本を著し、その売り上げを三笠の保存に寄付するなどして復元保存運動が徐々に盛り上がり今にいたったようです。何ともいつもながら、外国人の手で歴史を保存する動きとなるのは皮肉ではあります。

甲板を歩き、東郷元帥が指揮していた場所にいきます。ここで、ロシア、バルチック艦隊を目前に敵艦との距離8千メートルぐらい。

「どちら側で戦されるのですか?!」

東郷元帥が右手を左に下します。

(参考 youtube様:「取り舵いっぱい 」)




「取舵いっぱい」

「っとっ、取舵になされますか?!」

「左様」

「とおりかーじいっぱい!」 

とりあえず、真似して私もいってみましたw 

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ちゃんと操舵室で声が聞こえましたw

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「取舵いっぱい!」俗にいう、「T字戦法」、東郷ターンです。連合艦隊は、旗艦、三笠に追従し、一直線に左会頭していきます。ウラジオストクを目指し、北上するバルチック艦隊はしめたと!射撃していきますが、日本海の波は荒く、ほとんどあたりません。しかし、ターンが完了してしまい、連合艦隊はロシア艦隊の頭を押させつける形、まさに「T」字の形となり、正確無比な射撃をしていき、次々と沈没させていきます。ほとんどのロシア艦が撃沈、拿捕、最後は降伏し、帰還できた船は僅か三隻だったようです。圧倒的な勝利でした。

小野先生はこの時に利用された奇門遁甲のエネルギーは「獄神得奇(ごくしんとっき)」であると分析されています。

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(意味)地獄の神が奇跡を起こす象である。絶体絶命のところから大勝利に導かれる方位である。しかし運気を使い果たすため病気の心配があることは記憶すべきである。ちなみに、日露戦争において、東郷平八郎率いる連合艦隊はバルチック艦隊に対して、T字になるように進路を変えた。この進路を時盤でみると獄神得奇なのだ。これが奇跡的な大勝利につながったのである。
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この戦いに果たして奇門遁甲が使われたのか。しかも、実は陸軍も使っていた可能性もある、何のために?「ロシア革命を起こすために」。。。。。。。と小野十傳先生は仰います。

信じるか信じないかはあなた次第でーす!w

中艦橋内では、いろいろと展示物が楽しめます。連合艦隊各艦です。

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三笠の船首にあった菊門です。

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東郷元帥お写真。

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東郷元帥の軍服です。

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ビデオ室や一番、うけたのがバーチャル日本海海戦です。
Oculus Riftというfacebook社が莫大な金でM&Aした会社の3Dゴーグルで、凄いです。マジに世界観に入り込めました。

さて、なかなか楽しめました。

最期に三笠の勇士を見ます。壮観ですね。

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近場のお土産屋で買い物です。看板まで(参考 Wiki様:Z旗)になってますw

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近場にある(参考 食べログ様:ポットラック)様の海軍カレーをいただきました。ミルクは定番らしいです。

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奇門遁甲の肝心の時盤をとらないと。一刻(現在の2時間)の境目までに入場し、実際には17時前、そして19時まで次の一刻の境を超えるのです。こちらは、防衛大学の近くにある(参考:横須賀温泉 湯楽の里)様。

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写真奥に写っていらっしゃいますが、防衛大学生が。矢張り土地柄ですね。

オーシャンビューの露天などを楽しみ、休憩スペースでも海を眺めつつ、落ち付きます。

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200キロの彼方の宇都宮に3時間弱で帰ります。今日のは効きそう、帰りも邪魔現象がありました。やっと到着し、軽く晩酌しつつ、お土産のあれを開きます。そう、東郷ターンZIPPOw

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ぼちぼち眠りにつきました。

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レッドクリフって三国志の映画ありますよね。度々、引用させていただいておりますが。

で、キャストもそうですが、何か暗示的なものを感じておりました。ちょっと書いておこうかと。何か、この呉が日本をイメージして作られているのでは?というのがこの記事のテーマです。

実際、歴史的にそんなことがあるのか?と調べてみるとあるんですね。

(参考 Wiki様:倭人 /呉人としての倭人)

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現在では、紀元前450年頃の、つまり春秋時代(「呉越同舟」で有名な呉越戦争の時代で、呉が滅亡した時期)の組織的な大規模な水田跡が九州で見つかっており、又、「倭人は周の子孫を自称した。」という記録もあることから、長江文明の象徴でもある水耕稲作文化の揚子江一帯の呉人が紀元前5世紀頃、呉王国滅亡とともに大挙して日本列島に漂着していたという説も有力になっている。春秋時代の呉人は百越のひとつでもある。『宋書』楽志「白紵舞歌」というものがあり、その一節に「東造扶桑游紫庭 西至崑崙戯曽城」(東、扶桑に造りて紫庭に游び、西、昆崙に至りて曾城に戯る。)とある。この「(白)紵」というのは呉に産する織物であった。近年、遺伝子分析技術の発達によって、筑紫地方(『日本書紀』の「国生み」)と、呉人は極めて関係が深いということが明らかになってきた(日本人#系統参照)。1999年3月18日、東京国立博物館で江南人骨日中共同調査団(山口敏団長)によって「江蘇省の墓から出土した六十体(二十八体が新石器時代、十七体が春秋戦国時代、十五体が前漢時代)の頭や太ももの骨、 歯を調査。特に、歯からDNAを抽出して調査し、福岡山口両県で出土した渡来系弥生人と縄文人の人骨と比較した結果、春秋時代人と前漢時代人は弥生人と酷似していた。DNA分析では、江蘇省徐州近郊の梁王城遺跡(春秋時代末)の人骨の歯から抽出したミトコンドリアDNAの持つ塩基配列の一部が、福岡県太宰府の隈西小田遺跡の人骨のDNAと一致したと発表された。『日本書紀』の「国生み」での「筑紫」の国名の命名では、「漢委奴国王印」が発掘された志賀島一帯の地名香椎(カシ(現在は「かしい」)は、百越人地帯としての「越(コシ)」の訛りとされる。元明天皇の時代には、百越人の住む地帯を『古事記』でも「コシ(越)」と読んだことから、北九州で百越人の一部族である「(春秋時代の)呉人の住み着いた場所」とされる。また、「越」は山陰地方名として『日本書紀』の「国生み」で登場する。また、律令制度では越国(越後・越中・能登・加賀・越前)として画定された。「越」は「高志」「古志」とも表記された。
「越人」も「呉人」も、どちらも「百越人」と呼ばれ長江文明の稲作水稲文明を日本にもたらした弥生人の一種といえ、春秋時代末期に「越」によって滅ぼされた「呉」の海岸沿いの住人たちには入れ墨の文化があり(荘子内篇第一逍遙遊篇)、これは魏志倭人伝などの倭人の風俗と類似したもので、呉人が海路、亡命して漂着したという説も有力である(安曇族も参照)。
崎谷満はY染色体ハプログループO1b1/O1b2系統を長江文明の担い手としている。長江文明の衰退に伴い、O1b1および一部のO1b2は南下し百越と呼ばれ、残りのO1b2は西方及び北方へと渡り、山東半島、朝鮮半島、日本列島へ渡ったとしており[14]、このO1b2系統が呉や越に関連する倭人と考えられる。
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とまあ、学術研究でも関係性が深いことが明らかみたいです。とすると、古い漢文化は漢字と共に日本にあるが、今の中国には誰がいるんでしょうか?少なくても元の漢文化の持ち主ではないでしょう、元の支配以降のモンゴルなど大陸系の人々の可能性が高いです。

まあそれはともかく、何故そう思っているかというと、パート1のシーンで呉が初めて出てくる以下のシーンです。

(参考 youtube様:Seeking Zhou Yu )



なんと、城の本陣に鳥居のようなものがあります。

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これは周瑜がのっている旗艦にも鳥居と太鼓があります。

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はじめ、船の方は偶然だろうと思っていましたが、この本陣のシーンを改めてみて間違いないと思いました。明らかに鳥居を意識している。中国の大陸の方は鳥居に嫌悪感を示す方もいます。世界大戦と以降の反日教育の影響です。日本軍事国家=神道のような形です。

それにこの練習シーンのやけに統率のとれた感じ、どうにも日本的です。それと、この後、笛を吹く少年が現れたときに見せる周瑜の風流なところなど。漢文化を表していながら、なんとなく日本の匂いを感じてしまいます。最後に少年のおじいちゃんの牛が軍隊内の誰かが盗んだことを軍全体の責任として、個人の責任を問わせないところなど、わざわざそこまで描写するのって何だろうと冷静にみますと、本当日本的だなあと思ってしまいました。実際、諸葛孔明役は金城武さんですし、甘興(甘寧をモデルにした架空の人物に中村獅童さんがキャストされています。

その他にもいろいろと感じるところがあるのですが、誰かが作為的にメッセージを込めているしたら、こういうことでしょうか。
いずれ、三国志のような戦争がアジアに再発するかもしれない。その時、魏は勿論、中国でしょう。蜀は?中原たる中国から脱出して力をつけた国、そう台湾でしょうか。そして、呉は日本です。

などと妄想ですが、見るたびにそう思ってしまいました。

引き続きよろしくお願いいたします。

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お世話になっております。

浅間山の動きが気になるところですが、過去の浅間山の噴火は(参考wiki様:天明の大飢饉)を生み出しました。

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東北地方は1770年代から悪天候や冷害により農作物の収穫が激減しており、すでに農村部を中心に疲弊していた状況にあった。こうした中、天明3年3月12日(1783年4月13日)には岩木山が、7月6日(8月3日)には浅間山が噴火し、各地に火山灰を降らせた。火山の噴火は、それによる直接的な被害にとどまらず、日射量低下による更なる冷害をももたらすこととなり、農作物には壊滅的な被害が生じた。このため、翌年から深刻な飢饉状態となった。天明2年(1782年)から3年にかけての冬には異様に暖かい日が続いた。道も田畑も乾き、時折強く吹く南風により地面はほこりが立つ有様だった。空は隅々まで青く晴れて、冬とは思えない暖気が続き、人々は不安げに空を見上げることが多くなった。約30年前の宝暦年間(1751年-1763年)の4年、5年、13年の凶作があったときの天気と酷似していた。被害は東北地方の農村を中心に、全国で数万人(推定約2万人)が餓死したと杉田玄白は『後見草』で伝えているが、死んだ人間の肉を食い、人肉に草木の葉を混ぜ犬肉と騙して売るほどの惨状で、ある藩の記録には「在町浦々、道路死人山のごとく、目も当てられない風情にて」と記されている。しかし、諸藩は失政の咎(改易など)を恐れ、被害の深刻さを表沙汰にさせないようにしたため、実数はそれ以上とみられる。被害は特に陸奥でひどく、弘前藩の例を取れば死者が10数万人に達したとも伝えられており、逃散した者も含めると藩の人口の半数近くを失う状況になった。飢餓とともに疫病も流行し、全国的には1780年から86年の間に92万人余りの人口減を招いたとされる。
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恐ろしいですね。

この天明の大飢饉のころ、幕末にあって、荒廃する天皇陵、つまり古墳を調べのちに前方後円墳という名前の名付け親とされているのが、(参考wki様:蒲生君平)公。「寛政の三奇人」として高山彦九郎、林子平と共に良く知られている人物のようです。

後に、幕末の時代、宇都宮藩は天狗党などの尊王攘夷運動に巻き込まれ、宇都宮藩7万5千石を5万石に縮小、藩主・戸田忠恕を謹慎・隠居、さらに戸田家に奥州棚倉城(福島県棚倉町)へ領地替えの内命が出る事態にまでなったようですが、蒲生君平公の遺業により、幕末の宇都宮藩は大いに助けられたようです。

昼間の画像ですが、宇都宮二荒山神社に蒲生公を顕彰する石碑がたっています。

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明治14年5月31日政府は維新の功により蒲生君平にたいし特旨をもって正四位を贈られた。これを受けて宇都宮東京の有志の間で二荒山神社公園内に一大記念碑を建ててその志操功績を不朽に顕彰しようとする議が起こり全国的な資金募集が始められた。発起人として東京は久我建通、東久世道禧、下野は戸田忠友、樺山資雄等知名の士が名を列らね遺族を含めて36名であった。その結果全国有志の賛同を得ていよいよ其の(その)業が進み、明治22年6月12日盛大なる式典のうちに除幕完成をみたものである。 以上
追記
蒲生君平は宇都宮が生んだ偉人である。
考古学の用語「前方後円墳」は君平の造語である。
寛政の3奇人とは、林子平、高山彦九郎、蒲生君平である。
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時代の裂け目の偉人の方の顕彰碑。何かしら、浅間山の躍動とつながる様で、我々も日々を過ごしながら歴史を振り返り、どう生きていくか考えていく必要があるのかもしれません。

さてさて、タイトル通り春の到来です。花開けば 蝶枝に満つ。。。

例の(参考 youtube様:和楽器バンド 暁の糸)の冒頭の詩吟ですね。

(参考 youtube様:暁の糸)



まさにその詩吟のとおりの絵かと思ってしまいました。こちらは宇都宮中心街の釜川。

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街の活性化で、このようなところで花見が楽しめるようです。付近の店にデリバリー可能だとか。丁度、ハンバーグみたいなのを運ばれる風景をみました。今週末、天気あれそうですが、もし晴れたら改めていきたいなあと思いました。

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さて、花見の誘惑を振り切り、(参考:二荒山神社)様に伺います。大通り沿いの町中の神社ながら、まだまだ木々があり気が良いです。正面のライトアップもなかなか。21時までは参拝できます。

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拝殿で本日の目的、御祈願者のための法術のためにお水を賜ることなどをご報告し、ご加護を祈念いたしました。

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例の明神の霊水をいただきます。

(参考:呪符の効果確かなようです )

奥の稲荷さんに一言ご挨拶してからいただきます。ばっちりです!

帰宅後早速、呪符を作成しました。今回は何かノリノリであり、多めの供物をあげたのと、般若心経も多めにあげておきました。

引き続きよろしくお願いいたします。

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