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先日は、栃木県立博物館企画展を見に行きました。内容はなんと!
「藤原秀郷 源平と並ぶ名門武士団の設立 将門を倒し伝説の武将・俵藤太となる」!

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いつもの常設展を一応復習し、時代感覚をロングレンジに意識をもっていきます。こういう時代感覚を広げること大切です。

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例の5000年前の関東地図も拡大してみると、納得。

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いよいよ企画展ゾーンです。

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って藤原秀郷公、俵藤太公って意外と知らないですよね。彼は日本における武士の発祥の方ともいわれています。そして、平将門公を打った方。しかしながら、関東を愛し、北斗七星を背に戦った悲劇の闘将、将門公も私は大好きですが。東京の守護神ですしね。説明の方がついてくれてラッキー。

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征夷大将軍、徳川家康公からすると、両方とも武士の興りと見た節がありますね。

なんと、(参考 Wiki様:藤原秀郷)公、栃木県、下野の国出身!

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藤原 秀郷(ふじわら の ひでさと)は、平安時代中期の貴族、豪族、武将。下野大掾・藤原村雄の子。 室町時代に「俵藤太絵巻」が完成し、近江三上山の百足退治の伝説で有名。もとは下野掾であったが、平将門追討の功により従四位下に昇り、下野・武蔵二ヶ国の国司と鎮守府将軍に叙せられ、勢力を拡大。死後、正二位を追贈された。源氏・平氏と並ぶ武家の棟梁として多くの家系を輩出した。

秀郷は下野国の在庁官人として勢力を保持していたが、延喜16年(916年)隣国上野国衙への反対闘争に加担連座し、一族17(もしくは18)名とともに流罪とされた。しかし王臣子孫であり、かつ秀郷の武勇が流罪の執行を不可能としたためか服命した様子は見受けられない。さらにその2年後の延長7年(929年)には、乱行の廉で下野国衙より追討官符を出されている。唐沢山(現在の佐野市)に城を築いた。
天慶2年(939年)、平将門が兵を挙げて関東8か国を征圧する(天慶の乱)と、甥(姉妹の子)である平貞盛・藤原為憲と連合し、翌天慶3年(940年)2月、将門の本拠地である下総国猿島郡を襲い乱を平定。この時、秀郷は宇都宮大明神(現・宇都宮二荒山神社)で授かった霊剣をもって将門を討ったと言われている。また、この時に秀郷が着用したとの伝承がある兜「三十八間星兜」(国の重要美術品に認定)が現在宇都宮二荒山神社に伝わっている。

〇百足退治伝説

近江国瀬田の唐橋に大蛇が横たわり、人々は怖れて橋を渡れなくなったが、そこを通りかかった俵藤太は臆することなく大蛇を踏みつけて渡ってしまった。その夜、美しい娘が藤太を訪ねた。娘は琵琶湖に住む龍神一族の者で、昼間藤太が踏みつけた大蛇はこの娘が姿を変えたものであった。娘は龍神一族が三上山の百足に苦しめられていると訴え、藤太を見込んで百足退治を懇願した。
藤太は快諾し、剣と弓矢を携えて三上山に臨むと、山を7巻き半する大百足が現れた。藤太は矢を射たが大百足には通じない。最後の1本の矢に唾をつけ、八幡神に祈念して射るとようやく大百足を退治することができた。藤太は龍神の娘からお礼として、米の尽きることのない俵などの宝物を贈られた。また、龍神の助けで平将門の弱点を見破り、討ち取ることができたという。
秀郷の本拠地である下野国には、日光山と赤城山の神戦の中で大百足に姿を変えた赤城山の神を猿丸大夫(または猟師の磐次・磐三郎)が討つという話があり(この折の戦場から「日光戦場ヶ原」の名が残るという伝説)、これが秀郷に結びつけられたものと考えられる。また、類似した説話が下野国宇都宮にもあり、俵藤太が悪鬼・百目鬼を討った「百目鬼伝説」であるが、これも現宇都宮市街・田原街道(栃木県道藤原宇都宮線)側傍の「百目鬼通り」の地名になっている。

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俵藤太の百足退治伝説有名みたいです。関東ではあまりですが、近畿では有名らしく。

時代背景は貴族の荘園が武士に奪われ、武士が興隆する時代。増税につぐ増税、それも、中間搾取で下の者が苦しむ時代。反発が反発を生み、ついにあちこちで反乱が。気が付けば関東の天皇として独立宣言をだしてしまう平将門公。義侠心が強い方が周りにほだされての結果ではありますが。

将門公以外も実は同じようなフリーの侍集団だったようです。秀郷公もその一人。しかし、力を結集しきれなかった朝廷はそのような秀郷公にもお鉢を回して将門公討伐軍を送り込んだのでした。将門公も武士の本懐をなした強者。秀郷公も強さをもち、武芸に秀でるだけでなく知略を持った方。ついに激戦となり、最後は秀郷公に将門公は打ち取られたのでした。

今回の陳列物はほとんどが本物でレプリカは一部。本物に身近に触れるって大切です。

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ともかくすごいのは、あの那須与一公が藤原秀郷公の家系系列だということ。やはりという感じですね。一説にはその武芸血脈、伝授を欲しがる支配者も多かったようです。

特に今回の企画展は、「秀郷公は武士の興りでは?」という問題定義に迫った、学芸員さんの熱意が具現化した素晴らしい展示でした。まじに栃木凄いのでは? w今度、佐野の、秀郷公の古墳にいこうっとw

おまけは、ジョージルイス先生と武田久吉先生の展示。こちらは、日本の自然科学に一石を投げる気合の入った展示で、あの日光の東照宮北東の仏岩近くに東京大学の自然研究所があったことなど全く知らなかったですし。
最後の閉めのお言葉が「我々はこの自然を子孫に継承しなくてはいけない」。。。。おお!これですよ、これを聞けるだけで今日来たかいがあった!

清々しく、博物館を後にし温泉へのと向かいました。

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やっとブログのネタの時間が先週末においついてきましたw

今は目下、台風24号の接近のため、首都圏も電車が夜は停止になるなどしていますね。各地皆さん注意していきましょう。また、北海道でM5クラスが起きており地震も注意です。

さて、先週末はお彼岸でしたので、まずは自宅の神殿の諸仏にもご供養し、その後、関連する各家のお墓巡りをしました。春の彼岸の時に処置したお墓は相変わらず雑草はなく美しい砂利となっていました。一種、庭園の枯れ池の原理を使った仕掛け、大成功継続中でした。風水的に座山を高くし、手前の立向を低くし、大雨をうけても水が前庭から吐き出される形。なんですかね、四柱推命の五行の要素の仕組みと物理現象を兼ね合わせるとまた造作にも良いようです。ともかく、墓シャンプー月光wをつかって、細かい汚れをとっていきます。ぴかぴかです。その後は、お経を唱えてすっきりですね。

その後は、久しぶりに那須与一公(京都東山の即成院より分骨)やその一族のお墓がある(参考 Wiki様:玄性寺(げんしょうじ))さんに行ってみました。

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那須与一公といえば、平家物語にある屋島の戦いでは、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落としたことが有名ですね。

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『南無八幡大菩薩、とりわけ我が国の神々、日光大権現、宇都宮大明神、那須温泉神社、願わくばあの扇の真ん中を射させてくれ給え、これを射損じる位なら、弓を折り腹をかきさばいて、再び人にまみえる心はありませぬ、今一度本国へ返そうと思し召されるならば、この矢を外させ給うな』

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(参考 Wiki様:屋島の戦い)

〇扇の的と弓流し

夕刻になり休戦状態となると、平氏軍から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと挑発。外せば源氏の名折れになると、義経は手だれの武士を探し、畠山重忠に命じるが、重忠は辞退し代りに下野国の武士・那須十郎を推薦する。十郎も傷が癒えずと辞退し、弟の那須与一を推薦した。与一はやむなくこれを引き受ける。
与一は海に馬を乗り入れると、弓を構え、「南無八幡大菩薩」と神仏の加護を唱え、もしも射損じれば、腹をかき切って自害せんと覚悟し、鏑矢を放った。矢は見事に扇の柄を射抜き、矢は海に落ち、扇は空を舞い上がった。
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大軍団の源氏の前で絶対に失敗が許さない局面での成功、一説には、与一公は弓の修行をしすぎて、左右の手の長さが変わってしまったとの説があります。ともかく、基本的に大切なことですが、こういう局面では地元の神仏にお願いすることは大切みたいですね。

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弓場があります。

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この稲荷は那須家代々の守護神とのことです。

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墓所に向かう途中、彼岸花が。

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墓所で焼香し拝ませていただきました。

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那須家累代の方々のお墓があります。

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さて、すがすがしく、今度は、与一公に縁が深い那須温泉神社へ向かいます。凄い混んでいて、殺生石の駐車場から向かいました。社務所で絵馬を購入です。例の絵馬の作法をやるためです。

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愛宕神社の霊水をいただき本殿へ。

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まずは本殿でお祈りです。お神籤をいただくと、ええ!前回の毘沙門天さんに続き、1番大吉!これは我ながら凄い。

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本殿、10メートル手前にある場所に丁度目印がありますが、ここでたたずみ気をいただきます。

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松の木が美しいです。

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九尾の狐の稲荷さんにもお参りし、そのまま殺生石におりてきます。

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神社を振りかえるといい感じですね。

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殺生石に到着です。

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この世界各地で災厄をもたらしこの地に眠るという九尾の狐も曼荼羅の世界観でいえば、仏の一形態なんでしょうね。曼荼羅の外側の夜叉のような神々も究極は大日如来の一形態だという世界観です。私たち一人ひとりが大日如来の化身なんだという。これは結縁灌頂をうけてみるとすごく理解できる世界観だったりします。是非受けていない方は受けた方がいいです。凄い開運するとも言われています。

さて、次は、軽くご飯です。ここは前から気になっていたレストラン(参考:バジルの葉)さんです。

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オープンテラスでよかったです。

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続いて、(参考:藤城清治美術館那須高原)さんに。ここは藤城清治さんの美術館です。

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何かと蛙のオブジェが。

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結構、そとからのアプローチから結構な広さです。

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この教会のステンドグラスのノアの箱舟を見たくてきました。

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その奥にある美術館も美しい展示物がたくさんあり、感動です。

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〆は、温泉の那須山さん。

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出たら、十五夜の満月でした。

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先週末の土曜日は雨が降っており、地元、宇都宮の近場を散策しておりました。ちょっと市役所に用事があり、二荒山神社向かって右のビルにある宇都宮バンバ出張所に伺います。こちらは土日も9-19時やっていて便利です。職員さんがささっと寄ってきて用事を聞いてくれるので安心ですね。こちらには国際交流コーナーなどもあり外国の方もいて土曜日にも関わらず賑やかでした。

折角、この辺に来たので、餃子でも食うかと、交差点向かって反対側にあるメガドンキの地下にある(参考 宇都宮餃子会様:「来らっせ」)さんに向かいます。

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こちらの店は宇都宮餃子会に属する店舗の各餃子を日替わりメニューとして楽しめる店舗と、常設の5店舗でフードコート形式の2つのスタイルで宇都宮餃子の見本市ともいえるお店となっております。

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今回は常設店舗側に行ってみます。

(参考:ぎょうざの龍門)(参考:宇都宮餃子 めんめん)(参考:宇都宮 餃子みんみん)(参考:宇都宮餃子 さつき)(参考:香蘭)の5店舗が入っています。

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色々食べましたが、龍門さんの明太子チーズ餃子。名前だけでうまそうですがやっぱりうまし。

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香蘭さんの黒スープ餃子がコクのある甘辛スープにジューシー餃子でうまし。

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同じく、香蘭さんのネギ塩餃子がネギ塩との組み合わせ絶妙です。これはそのまま食べてOKです。やみつきになりそうw

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そもそも、宇都宮餃子って突如、騒ぎ出して気が付いたら有名になっていたという感じですが、私の知ってる限りですと、宇都宮市の観光担当の企画課長さんが、餃子の消費量が日本一という統計データから発案して、宇都宮餃子を売り出そうとなったと聞いています。(間違いでしたら、どなたか教えてください!)その流れなのか、山田邦子さんがでていた(参考 Wiki様:「おまかせ!山田商会」)という番組で、町興し企画・宣伝の一環で、餃子の像を大谷石で作ろうということになり、更に宣伝になったと。この話だけですと、故事付けで宣伝しただけのように思えますが、ネタにしていた消費量が日本一だったということは、ラーメン屋や中華屋さんだけでなく、元々、やはり餃子専門店も多かったことにつながります。

何故に宇都宮に餃子専門店が多かったのか?一応、歴史的経緯としては、宇都宮には大日本帝国陸軍第14師団が、明治40年9月からおかれ、衛戍地を満州としたことから宇都宮出身の軍人が帰国に際して本場の餃子の製法を持ち込んだのが始まりといわれています。多くの軍人が宇都宮を経由して満州に渡り、その際、餃子の洗礼をうけたというのです。大陸で餃子の製法を身に着け、帰還後、日本でその味を思い出し広げたというお話しです。

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大陸では当時、豚肉は高級で手に入らなかったらしく、羊の肉を使ったようです。その臭みを消すために、ニンニクなどやニラ、ネギなどの香味野菜を入れてつくったようです。中国の餃子には入っていないニンニクが入っているのはそうした理由のようですね。羊の肉を使わなくなった今でもニンニクなどを入れているのはある意味、宇都宮餃子の伝統になったわけですね。

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満腹になったあとは、その時は奇門遁甲では東が吉方でありましたので、芳賀町のロマンの湯に向かいました。良い湯でした。

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(参考 Wiki様:転生輪廻(てんしょうりんね))ってご存知ですか?所謂、生まれ変わりというやつです。

(Wiki様)
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転生輪廻(てんしょうりんね)とも言い、死んであの世に還った霊魂(魂)が、この世に何度も生まれ変わってくることを言う。ヒンドゥー教や仏教などインド哲学・東洋思想において顕著だが、古代のエジプトやギリシャ(オルペウス教、ピタゴラス教団、プラトン)など世界の各地に見られる。輪廻転生観が存在しないイスラム教においても、アラウィー派やドゥルーズ派等は輪廻転生の考え方を持つ。
「輪廻」と「転生」の二つの概念は重なるところも多く、「輪廻転生」の一語で語られる場合も多い。この世に帰ってくる形態の範囲の違いによって使い分けられることが多く、輪廻は動物などの形で転生する場合も含み(六道など)、転生の一語のみの用法は人間の形に限った輪廻転生(スピリティズム、神智学など)を指すニュアンスで使われることが多いといえる。
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あらためて調べてみますと、別にインド、東洋思想、仏教だけにある話ではないのですね。だって、ギリシャのピタゴラス教団とかプラトンとかも信奉していたって書いてあります。

仏教の中にはお釈迦様の弟子のお母さんが牛になっていたりそういう話が結構出てきます。輪廻転生といえば、あの絵が一番素晴らしい。そう、熊野十界曼荼羅ですね。こちらは自宅の奴です。いいでしょう?これは確か、埼玉の妻沼聖天さんで購入したと思います。今も売っているかはわかりませんが。

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(参考:未戒で死ぬのは止めた方がいいらしいっす )

で、タイトルにもどりますが、生まれ変わりのお話しで、菅原道真公⇒平将門公⇒太田道灌公という俗説があるらしいのです。

菅原道真公は学問の神様と言われる天神さんですね。めちゃくちゃ頭が良い方だったようですが、九州に左遷され怒りのまま亡くなり怨霊神となったといわれていわれています。天皇家も亡くなった後、都に怪異が続いてびっくりして顕彰しなおして神様にしてしまったようです。

続いて平将門公も天皇家に連なる方で、義に篤く、本人は意図することなく気が付いたら関東王国のような状態になり謀反人として征伐されてしまった悲劇の武将ですが、徳川家康公は侍の始まりを起こした方として顕彰しております。皇居近くに首塚がありますね。動かそうとすると死者が出て大変だというものです。

そして太田道灌公はこの東京の基礎のなる江戸に江戸城を築いた初めの方だったようです。相当な方ですよね。この場所を見定めたのはそうとうな方なはずです。東京には彼の作った遺構があちこちに残っています。

そもそもこのような生まれ変わり説につながったのが「これは、太田道灌公の父が道真公という名であったこと、道灌公もまた将門公のように首だけが別に祀られている首塚があることなど」があげられておりますが、「道灌公は菅原道真公を大変尊敬していたようでもある。なにしろ道灌公は、神社を城内に建立しただけでは飽き足らず、菅原道真公を祀って梅林も作っている。その場所が今でも都内の梅の名所として知られている皇居東御苑の「梅林坂」だ。菅原道真公を祀る天神さまに、梅の木はもちろん欠かせないものではあるが、さらにそのそばに天神堀というお堀まであり、その傾倒ぶりには驚かされる。生まれ変わり説はもしかしたら、道灌公自ら吹聴していたのかもしれない。」

(参考 AERA.dot 様:「江戸城」に隠された太田道灌と菅原道真の関係)

こんなお話しを拝見していたので、昨日は陰遁開始の日ということでお昼休みに散策したのが(参考:平河天満宮)様です。

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(歴史)
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江戸平河城城主太田道灌公が、ある日菅原道真公の夢を見ました。そして、その翌朝菅原道真公自筆の画像を贈られたこともあり、その夢を霊夢であると思い、文明十年(一四七八年)に城内の北へ自ら施主となり、天満宮を建立しました。(「梅花無尽蔵」による)その後も周囲に多くの梅の木を植え、やがてここを梅林坂と呼ぶようになり、今も皇居平川門内にその名が残っています。
徳川家康公の江戸平河城入城後間もなく、築城のため本社を平川門外に奉遷しましたが、慶長十二年(一六○七年)二代将軍秀忠公に依り、貝塚(現在地)に奉遷されて、地名を本社にちなみ平河町と名付けられました。徳川幕府を始め紀州、尾張両徳川家、井伊家等の祈願所となり、新年の賀礼には、宮司は将軍に単独で拝謁できる格式の待遇を受けていました。また学問に心を寄せる人々は、古来より深く信仰し、名高い盲目の学者塙保己一や蘭学者高野長英等の逸話は、今日にも伝えられています。
現在も学問特に医学や芸能、商売繁盛等の祈願者が多くあります。
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永田町駅から平河町方面にありますね。この辺も気がいい感じがします。

神社も気持ちいい気を感じました。

菅原道真公といいますと、聖天信仰を篤くされていた方としても有名です。天神あるところに聖天ありみたいな。そう考えると、湯島天神さんと湯島聖天さんがありますね。そして、どちらも道灌公にご縁がある寺社のようですね。

太田道灌公は凄くできる方で逆に上司に疎まれて最後は暗殺されてしまった悲劇の方のようです。一種の怨霊神化してもおかしくない方ですね。あとおもしろいのは彼の家紋が桔梗紋であることです。

(参考 お役立ち!季節の耳より情報局 様:太田道灌の家紋を解説|初代江戸城を作ったとされる扇谷上杉家の戦国武将 )

桔梗といえば?明智光秀公。そして、明智光秀公が実は死んでおらず家康公の宗教政策の黒衣の宰相、天海大僧正になっていたという説もありました。日光の東照宮には桔梗紋があり、そしていろは坂には明智平がある。まあ、光秀公=天海大僧正説はともかく、支族の方々に何らかの関連性があるのはあり得る話ですね。特に関東ならば、安房忌部、将門公の秩父平氏など調べる必要がありそうですね。神仏でいえば、北斗信仰、妙見菩薩につながっていきます。そして、日光東照宮の陽明門には北斗七星が輝くのでした。

東京も調べれば調べるほど面白いですね。

さて、夜になり、長年お世話になっている私のITの師匠のような社長さんと仕事のお話しをするいうことで、そうだ、6/1-6/10は神楽坂の(参考 食べログ様:鉄板焼きマリアージュ)さんで一周年ということでサービスがあるということを思い出しました。ウェルカムドリンク1杯無料でありがたいです。白ワインをいただきました。

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こちらのマスターは鉄板道を究めようとしている方。やはりマスターの師匠も凄い方々がいるようです。その師匠のお言葉にはどの業界でも通じるようなお話しがありますね。

「料理人は味は当然として楽しみを提供しなくてはいけない」

これなどは断易の妻財(金、女、飯)を得るには、直接、自分たる兄弟の位置から、妻財を得ようとすれば剋の形となりますし、生かす方向は子孫(子供のような喜び、楽しみ)を相生しなくてはいけない話につながります。

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このIT社長さんも、20年以上前、私がまだエンジニア駆け出しだったころからご指導いただいた方でした。この当時の開発に対するスピリッツは今の私の基盤となるといっても過言ではないでしょう。やはりどの世界でもお師匠様は大切です。

めくるめくるいつもの美食と楽しいひと時を頂き、終電近く。急いで東京駅に向かいました。東北新幹線の終電で帰宅しましたが、腹が苦しくて全開にしておりました。

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お世話になっております。

先日の霊符・呪符、鑑定書のゴールデンウイークセールですが、3割引枠は以下の状況です。

(参考:5月5日(丁酉)立夏に霊水取得し霊符作成予定です )

GW中のセールについては先日予告にて記載した以下の通りですが、既に数件、お問い合わせがありまして、以下の残り分となっております。ご了承の程お願いします。

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(再掲)
「GW割引きセール」をしたいと存じます。

・霊符/呪符 (先着 3名様 ⇒ 残り2名様 ⇒ 残り1名様  3割引き、期間内統一2割引き)
・鑑定書    (先着 3名様           ⇒ 残り2名様 3割引き、期間内統一2割引き)
※鑑定書は全てハンドメイクのため、ご入金後、2ヵ月~3ヵ月程度、また大人数の依頼が来た場合には納期がずれ込む可能性がございますので、都度、申し込み時にご連絡いたします。予めご了承の程お願いします。
(現在は、近々、納品予定1件の状況です)

ご希望の方はお早めに問い合わせより願望のご連絡をお願いします。なお、セール対象の申し込み締め切りは、5月1日とさせていただきます。(流石に後半の時間をいただかないと作成が厳しいですので)

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本日中でしたら、3割枠が若干残、2割引とさせていただく状況です。ご興味ある方はお早めにご連絡お願いします。


さて、先日は、また奇門遁甲を使って運気を高めておりました。

明らかに吉方を取得を続けると、目的に応じてジャックポットのように吉祥が放出される、という現象を過去に何度も体験しております。吉方を取り続けていると吉方を取りやすくなります。これは逆も然りで、一度、悪い方位をとると、その後、中々良い方位を取りにくくなったり、どう動いても悪い方位に囲まれ続けたり、行きたくないのに呼ばれたりするものです。特に普段からあまり行かない場所に行く際には、特に吉方を取るように心がけるのが大切だと思います。

この日の南東方向、日盤は丁乙(焼田撒種、吉)、傷門(小凶)、で、時盤は午の刻、甲丙(青龍返首、大吉)、生門(吉)でした。日盤の傷門が微妙ですが。

この日は朝はそれほどでもなかったですが、昼間は夏日でした。程なく出発し、北関東自動車道から常磐自動車道へ。その後、圏央道へ向かい、大体、160キロ程度ですね。暑いのでクーラーをつけますが、途中、変な車が多く、追い越しするのに少し吹かしたり、ちょっと車に負担かかってるなあ、と思いました。

2時間弱で到着しました、(参考:香取神宮)様です。

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(御由来)
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〇主祭神:経津主大神(ふつぬしのおおかみ)
<又の御名伊波比主命(いはひぬしのみこと)>

〇御祭神の神話
皆さんは、出雲の国譲りの神話をご存じでしょうか?香取の御祭神 経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、この神話に出てくる神様です。はるか昔、高天原(天上の神々の国)を治めていた天照大神(あまてらすおおみかみ / 伊勢神宮・内宮の御祭神)は、葦原中国(あしはらのなかつくに / 現在の日本)は自分の息子が治めるべきだとお考えになりました。葦原中国は荒ぶる神々が争い乱れていたため、天照大神が八百万神に相談すると、天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで出雲国の大国主神(おおくにぬしのかみ)の元に遣わされましたが、天穂日命は大国主神に従い家来になってしまいました。次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされましたが、天稚彦もまた忠誠の心なく、大国主神の娘である下照姫(したてるひめ)を妻として自ずから国を乗っ取ろうとし、天照大神の元に戻りませんでした。このようなことが二度つづいたので、天照大神が八百万神にもう一度慎重に相談すると、神々が口を揃えて、経津主神こそふさわしいと言いました。 そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ / 鹿島神宮の御祭神)も名乗り出て、二神は共に出雲に派遣されることとなりました。出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いた経津主、武甕槌が十握剣(とつかのつるぎ)を抜き逆さに突き立て武威を示すと、大国主神は天照大神の命令に従い葦原中国を譲りました。二神は大国主神から平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、日本の国を平定して、天照大神の元へ復命されたのです。

〇御神徳
古くから国家鎮護の神として皇室からの御崇敬が最も篤く、特に『神宮』の御称号(明治以前には伊勢・香取・鹿島のみ)を以て奉祀されており、中世以降は下総国の一宮、明治以後の社格制では官幣大社に列し、昭和17年、勅祭社に治定され今日に至っています。奈良の春日大社、宮城の鹽竈神社を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでいて、広く尊崇をあつめています。一般からは家内安全、産業(農業・商工業)指導の神、海上守護、心願成就、縁結、安産の神として深く信仰されています。さらに、その武徳は平和・外交の祖神として、勝運、交通 安全、災難除けの神としても有名です。

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経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、神話の神様であり、強力な護国の神様、武の神様ですね。明治時代以前は、伊勢神宮、香取神宮、鹿島神宮のみだったんですね。ゴールデンウイークともあって参拝客はたくさんこられていました。

中央の大鳥居からは大きな雲を背に雄大な気を感じます。

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参道は紅葉の木がたくさん緑の葉をつけていました。秋の紅葉は最高でしょうね。でも、太陽を背にした緑の参道も最高です。清々しき気のシャワーをいだきつつ本殿へ向かいます。やはり、霊符・呪符作成においては気の力が要となりますので。

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こちらの楼門の額は明治時代、日本海海戦においてロシアバルチック艦隊を撃破せしめた東郷平八郎元帥の筆によるものだそうです。何かと神話的にも護国、武の神様なので政治家や武人の尊崇が篤い感じでしょうか。

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本殿です。凄い並んでいますが、本殿前10メートルぐらいの例の気の凝縮点では、大地の気が全身を駆け巡る瞑想をしつつ、折角なので例の神道灌頂で賜った印や真言を小さな声で唱えます。勿論、順番がきたら賽銭箱の前で二礼二拍手に交じえこれをもう一度サクっとやります。(いずれにしても、「自分の名前、生年月日、〇〇神社一切諸神善神に奉ります。そしてお願い事」という形でお願いすると良いです。)

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御神籤を引きますと、おお、大吉、上々です。その後は宝物館へ。

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こちらにはイミテーションですが、正倉院御物及び四国大山祇神社の神鏡とを合わせて『日本三銘鏡』と称され、昭和28年に国宝に指定、千葉県の工芸品で唯一の国宝である、「海獣葡萄鏡」が展示されています。こちらは現地で授与品で書道に使う文鎮(ぶんちん)として販売していて、十年前ぐらいにお参りした際に購入しており、これを霊符作成の時に使っています。

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本殿を一周しました。三本杉などもパワーありますし、安倍総理の大和心の石碑もよいですね。別に安倍総理でなくても宝物館には歴代総理の寄進のものがありました。

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本殿の散策は終わり、帰りに、要石(かなめいし)をお参りです。

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要石(かなめいし)は、鹿島神宮と香取神宮にあり、地震を鎮めているとされ、大部分が地中に埋まった霊石です。地上部分はほんの一部で、地中深くまで伸び、地中で暴れて地震を起こす大鯰あるいは竜を押さえているのだそうです。鹿島神宮は凹型で、香取神宮は凸型のようです。

ある意味こちらも龍穴のような場所なのでしょうか。

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駐車場に戻り、車のエンジンをかけますが、ん?何かギア切替が変です。一旦、エンジンを停止し、もう一度かけなおすと、大丈夫で、ホッとしましたが、ちょっとギア切替の雰囲気が気になります。ずっと走っていて落ち着きましたが、やはり奇門遁甲の盤で、吉盤でも動作が無意識に荒くなるという丙や傷門のような要素は要注意かもしれません。(勿論、戦格、死門などの凶方はモロきますのでもっての外です)パワースポットも機械に影響を与える場所もあるようです。磁場が違うという場所で音響機器が変な動作したことが過去にありますし。それだけ効果にも影響するということでしょうが。最も大切なのは目的をもって吉方を求めることが肝要なようです。

さて、香取神宮で清々しく気をいただき、続いて、前から行きたかった(参考 香取市:伊能忠敬記念館)に伺います。

香取神宮から2,3キロ程度ですね。水郷の街、佐原にきますと、小江戸情緒のある街並みが並んでいます。

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伊能忠敬記念館に到着です。伊能忠敬公や、

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測量の道具が。

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今回は企画展でシーボルト関連の陳列があるようですね。

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こちらから入ります。「御用 測量方」の旗が。後でこの意味を知りますw

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館内撮影禁止にて、パンフレットの画像のみで失礼します。

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伊能忠敬公はどのような人だったのか?

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江戸時代、日本国中を測量してまわり、初めて実測による日本地図を完成させた人です。 忠敬は、延享2年(1745年)現在の千葉県九十九里町で生まれ、横芝光町で青年時代を過ごし、17歳で伊能家当主となり、佐原で家業のほか村のため名主や村方後見として活躍します。その後、家督を譲り隠居して勘解由と名乗り50歳で江戸に出て、55歳(寛政12年、1800年)から71歳(文化13年、1816年)まで10回にわたり測量を行いました。その結果完成した地図は、極めて精度の高いもので、ヨーロッパにおいて高く評価され、明治以降国内の基本図の一翼を担いました。
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忠敬公は婿養子で伊能家に入り、酒蔵でもあり米問屋だった名家を3倍ぐらいに大きくしたようですね。長者番付にのったようです。当時の貨幣は両でしたが、1両が現在の15万円程度だそうで、忠敬公、29歳ぐらいで年収5000万円程度から、20年間の経営で3倍の1億5000万ぐらいに年収アップしていたようです。物凄く経営手腕がある方、やり手だったようです。しかも館内にあった以下の家訓を見ていただければ、どのくらい真っすぐで、謙虚、謙譲で努力家なのが分かるでしょう。やはり、すぐに怒って一期一会の縁を大切にしない人、相手を尊重し意見を交換しあえない人、自分の程も知らずに威張る人、権威を振りかざす人、争いを好む人は成功しないのです。(以下の家訓を反対にすれば成功しない人になりますw 気を付けましょう)

〇伊能家家訓

第一 仮にも偽をせす孝弟忠信にして正直たるへし
第二 身の上の人ハ勿論身下の人にても教訓異見あらは急度相用堅く守るへし
第三 篤敬謙譲とて言語進退を寛容に諸事謙り敬み少も人と争論など成べからず

天明の大飢饉のときには、自ら村の有力者と相談しながら、身銭を切って米や金銭を分け与えるなど、貧民救済に取り組んだようです。正に家訓を実施されていますね。

それだけでないのが凄いのですが、元々勉強好きで特に暦の学問が好きだったようです。経営を安定化させて、50歳で隠居に入り、第二の人生ともいうべき地図研究が始まります。なんと50歳で、幕府の天文方の改暦作業に係っていた民間の研究家の方ですが、当時高名であった31歳の高橋至時公に弟子入りしたそうです。弟子入りした忠敬公は、19歳年下の師至時に師弟の礼をとり、熱心に勉学に励んだそうです。この姿勢には大いに学ぶものがありますね。

暦の学問は占いにも通じる世界でして、江戸時代には星の観測や暦の編纂、修験道者への免許などを取り仕切る、土御門家(つちみかどけ)なども含め、館内陳列には暦に係る流派の流れに忠敬公も列せられていました。
余りに精巧な地図を自己研究のみで作成し、幕府へ献上し、ついに、公の事業として認められてしまい、幕府「御用 測量方」として、全国行脚の旅が始まります。地図を作るには、太陽、月、北極星の位置を図り、角度や距離を測ったり、計算していくようです。様々な測量器具は星を見る望遠鏡や、十二方位があるコンパスは風水の羅盤のようなものもあり興味深いです。特に、測量方が定位置を決める際に立てる棒のようなものが、梵天(ぼんてん)といい、これがそのまま各地の梵天祭でつかうような物干し竿の先にひらひらがついているような形で凄く納得でした。
これらを使いながら、終生をかけて日本地図をつくったそうです。記念館入ってすぐにあるランドサットの日本地図と伊能忠敬公の地図がほぼいっちしているのに驚かされます。
また企画展のシーボルトですが、シーボルトの子孫の方がシーボルト事件にもなった忠敬公の地図を持ち出そうとして罰せられた後、忠敬公の地図を模写したりしたものがシーボルト家に温存されており、これを伊能忠敬記念館にお貸しする形で展示されておりました。皆、熱心にみられていましたね。本当、忠敬の偉業もさることながら、このような歴史館で歴史を知ることもまた知的好奇心を満たしてくれてよい時間をいただきました。

※館内入ってすぐの場所に、お子様がおられる方は、小中学生向けのワークシートがあり、これは一枚ずつ全ていただいて、是非トライしてみましょう。各展示物の場所にヒントがありますから、これをやっていくと、終わるころには忠敬公マスターになれるかも?ですw 

程なく見学を完了し、目の前の、忠敬公も訪れた?お茶屋で珈琲を一杯賜ります。テレビの撮影に使われたそうですね。

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旨い!癒されます。

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帰りに近くの佐原の道の駅で地産の野菜などを買い宇都宮へ帰還しました。かなり地元の食材が充実の道の駅だと思います。

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今回も充実のドライブとなりました。

引き続きよろしくお願いいたします。

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