お世話になっております。

先週の日曜は、また奇門遁甲方位取りをしました。目的地は奇しくも、奇門遁甲を使ったという説がある日本海海戦で活躍した戦艦三笠がある三笠公園の(参考:記念艦 三笠)へ。

方位が南しか開いておらず、そういう時はパワーも強力みたいです。奇門遁甲は単に方位の盤を算出すればよいのではなく、このように盤を自ら作成して掴める理解に、九天玄女の思いが込められていると思った方がよさそうです。
ともかく、この日の目的は、お客様の運命コンサルディングのお仕事があり、四柱推命を見るにあたってパワーが必要に感じていまして、甲丁の時盤をとります。(お陰でなんとか進みました、あと少しです。終わってからのブログ更新です。矢張り仕事に使うと強力に感じます)

(参考 Amazon様:「最新 奇門遁甲術入門: 世界の華僑に巨万の富をもたらし続ける秘中の勝占 (エルブックスシリーズ) 」)

(参考:奇門遁甲の真傳はどこからどこへ行ったのか?歴史だけがバロメータとなりえるのかと )


行くがてら、経路を間違えそうになったり、変な車に遭遇したりと、吉方ならではの現象を感じながら向かいます。

高速道路、横須賀に到着、海が開け、海上自衛隊の護衛艦が見えました。横須賀の町の中を通り過ぎ、三笠公園へ。周辺が満車で市役所のパーキングに置き、海岸通りを歩きます。何か南国ムードですよね。しかし、多いと思っていた在日米軍の方と思われる人が少なく、先日、テレビでやっていた北朝鮮の影響で基地の町から兵隊さんが消えているというのを思い出しました。

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ついにきました、三笠公園。始めてきました。東郷平八郎元帥が待っていてくれます。

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早速、(参考:三笠(戦艦))に突入です。

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全長130メートルぐらいあり、でかいです。

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海側からは、猿島がみえます。

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この日本海海戦で日本が負けていたら、ロシアの植民地になっていたと思われます。少なくても、イギリス、アメリカなどの列強諸国との分割統治になり、今の日本の国体(言語、文化、宗教など)は全く今の形ではなかったでしょう。それほど重要な戦いでした。対する世界最強と歌われたバルチック艦隊は、アフリカを超え1年ぐらいで日本に到着します。日英同盟がありスエズ運河を通されなかったので余計に時間がかかったのでした。イギリスは、ユダヤ財閥ロスチャイルド、ジェイコブエンリーシフ卿の資金援助もそうですが、戦艦三笠もイギリス、ヴィッカース社製ですし、前の記事に書いた高速巡洋艦、日進をイタリアに買い付けに行った時も、ロシアがスパイ映画よろしく追従しており、この時もユニオンジャックが翻えなければ、略奪、破壊されたかもしれません。まさに、007の世界です。

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この戦いは世界中に反響を呼びました。200年前までは世界中の黄色人種は白人の奴隷となり、ある万博では黄色人種が檻に入れられて陳列されるなど、機械文明によって植民地獲得合戦を広げていた世界でした。かつての大国インド、中国が割譲されている有様だったのです。その中に黄色人種の国が白人のしかも大国ロシアを撃破したのです。インド、ネール首相、ビルマのバ・モー首相、中国の孫文、をなど、アジア各国を奮い立たせ、白人側、イギリスやアメリカ各国、またロシアに苦しめられていたヨーロッパ各国などは絶賛し、子供の名前をトーゴーにしたり、フィンランドがトーゴービールを作ったり、それほどに影響を与えた戦いでした。
しかし、愚かな太平洋戦争でボロボロになった日本は、保存艦となっていた三笠は悲惨な状況となり、GHQ支配下では、「キャバレートーゴー」となり、こうした窮状を、イギリス人のジョン・S・ルービンが英字紙「ジャパンタイムズ」に投書、大きな反響を呼び、さらにアメリカ海軍のチェスター・ニミッツ提督が三笠の状況を憂いて本を著し、その売り上げを三笠の保存に寄付するなどして復元保存運動が徐々に盛り上がり今にいたったようです。何ともいつもながら、外国人の手で歴史を保存する動きとなるのは皮肉ではあります。

甲板を歩き、東郷元帥が指揮していた場所にいきます。ここで、ロシア、バルチック艦隊を目前に敵艦との距離8千メートルぐらい。

「どちら側で戦されるのですか?!」

東郷元帥が右手を左に下します。

(参考 youtube様:「取り舵いっぱい 」)




「取舵いっぱい」

「っとっ、取舵になされますか?!」

「左様」

「とおりかーじいっぱい!」 

とりあえず、真似して私もいってみましたw 

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ちゃんと操舵室で声が聞こえましたw

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「取舵いっぱい!」俗にいう、「T字戦法」、東郷ターンです。連合艦隊は、旗艦、三笠に追従し、一直線に左会頭していきます。ウラジオストクを目指し、北上するバルチック艦隊はしめたと!射撃していきますが、日本海の波は荒く、ほとんどあたりません。しかし、ターンが完了してしまい、連合艦隊はロシア艦隊の頭を押させつける形、まさに「T」字の形となり、正確無比な射撃をしていき、次々と沈没させていきます。ほとんどのロシア艦が撃沈、拿捕、最後は降伏し、帰還できた船は僅か三隻だったようです。圧倒的な勝利でした。

小野先生はこの時に利用された奇門遁甲のエネルギーは「獄神得奇(ごくしんとっき)」であると分析されています。

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(意味)地獄の神が奇跡を起こす象である。絶体絶命のところから大勝利に導かれる方位である。しかし運気を使い果たすため病気の心配があることは記憶すべきである。ちなみに、日露戦争において、東郷平八郎率いる連合艦隊はバルチック艦隊に対して、T字になるように進路を変えた。この進路を時盤でみると獄神得奇なのだ。これが奇跡的な大勝利につながったのである。
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この戦いに果たして奇門遁甲が使われたのか。しかも、実は陸軍も使っていた可能性もある、何のために?「ロシア革命を起こすために」。。。。。。。と小野十傳先生は仰います。

信じるか信じないかはあなた次第でーす!w

中艦橋内では、いろいろと展示物が楽しめます。連合艦隊各艦です。

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三笠の船首にあった菊門です。

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東郷元帥お写真。

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東郷元帥の軍服です。

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ビデオ室や一番、うけたのがバーチャル日本海海戦です。
Oculus Riftというfacebook社が莫大な金でM&Aした会社の3Dゴーグルで、凄いです。マジに世界観に入り込めました。

さて、なかなか楽しめました。

最期に三笠の勇士を見ます。壮観ですね。

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近場のお土産屋で買い物です。看板まで(参考 Wiki様:Z旗)になってますw

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近場にある(参考 食べログ様:ポットラック)様の海軍カレーをいただきました。ミルクは定番らしいです。

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奇門遁甲の肝心の時盤をとらないと。一刻(現在の2時間)の境目までに入場し、実際には17時前、そして19時まで次の一刻の境を超えるのです。こちらは、防衛大学の近くにある(参考:横須賀温泉 湯楽の里)様。

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写真奥に写っていらっしゃいますが、防衛大学生が。矢張り土地柄ですね。

オーシャンビューの露天などを楽しみ、休憩スペースでも海を眺めつつ、落ち付きます。

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200キロの彼方の宇都宮に3時間弱で帰ります。今日のは効きそう、帰りも邪魔現象がありました。やっと到着し、軽く晩酌しつつ、お土産のあれを開きます。そう、東郷ターンZIPPOw

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ぼちぼち眠りにつきました。

引き続きよろしくお願いいたします。
 
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お世話になっております。

レッドクリフって三国志の映画ありますよね。度々、引用させていただいておりますが。

で、キャストもそうですが、何か暗示的なものを感じておりました。ちょっと書いておこうかと。何か、この呉が日本をイメージして作られているのでは?というのがこの記事のテーマです。

実際、歴史的にそんなことがあるのか?と調べてみるとあるんですね。

(参考 Wiki様:倭人 /呉人としての倭人)

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現在では、紀元前450年頃の、つまり春秋時代(「呉越同舟」で有名な呉越戦争の時代で、呉が滅亡した時期)の組織的な大規模な水田跡が九州で見つかっており、又、「倭人は周の子孫を自称した。」という記録もあることから、長江文明の象徴でもある水耕稲作文化の揚子江一帯の呉人が紀元前5世紀頃、呉王国滅亡とともに大挙して日本列島に漂着していたという説も有力になっている。春秋時代の呉人は百越のひとつでもある。『宋書』楽志「白紵舞歌」というものがあり、その一節に「東造扶桑游紫庭 西至崑崙戯曽城」(東、扶桑に造りて紫庭に游び、西、昆崙に至りて曾城に戯る。)とある。この「(白)紵」というのは呉に産する織物であった。近年、遺伝子分析技術の発達によって、筑紫地方(『日本書紀』の「国生み」)と、呉人は極めて関係が深いということが明らかになってきた(日本人#系統参照)。1999年3月18日、東京国立博物館で江南人骨日中共同調査団(山口敏団長)によって「江蘇省の墓から出土した六十体(二十八体が新石器時代、十七体が春秋戦国時代、十五体が前漢時代)の頭や太ももの骨、 歯を調査。特に、歯からDNAを抽出して調査し、福岡山口両県で出土した渡来系弥生人と縄文人の人骨と比較した結果、春秋時代人と前漢時代人は弥生人と酷似していた。DNA分析では、江蘇省徐州近郊の梁王城遺跡(春秋時代末)の人骨の歯から抽出したミトコンドリアDNAの持つ塩基配列の一部が、福岡県太宰府の隈西小田遺跡の人骨のDNAと一致したと発表された。『日本書紀』の「国生み」での「筑紫」の国名の命名では、「漢委奴国王印」が発掘された志賀島一帯の地名香椎(カシ(現在は「かしい」)は、百越人地帯としての「越(コシ)」の訛りとされる。元明天皇の時代には、百越人の住む地帯を『古事記』でも「コシ(越)」と読んだことから、北九州で百越人の一部族である「(春秋時代の)呉人の住み着いた場所」とされる。また、「越」は山陰地方名として『日本書紀』の「国生み」で登場する。また、律令制度では越国(越後・越中・能登・加賀・越前)として画定された。「越」は「高志」「古志」とも表記された。
「越人」も「呉人」も、どちらも「百越人」と呼ばれ長江文明の稲作水稲文明を日本にもたらした弥生人の一種といえ、春秋時代末期に「越」によって滅ぼされた「呉」の海岸沿いの住人たちには入れ墨の文化があり(荘子内篇第一逍遙遊篇)、これは魏志倭人伝などの倭人の風俗と類似したもので、呉人が海路、亡命して漂着したという説も有力である(安曇族も参照)。
崎谷満はY染色体ハプログループO1b1/O1b2系統を長江文明の担い手としている。長江文明の衰退に伴い、O1b1および一部のO1b2は南下し百越と呼ばれ、残りのO1b2は西方及び北方へと渡り、山東半島、朝鮮半島、日本列島へ渡ったとしており[14]、このO1b2系統が呉や越に関連する倭人と考えられる。
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とまあ、学術研究でも関係性が深いことが明らかみたいです。とすると、古い漢文化は漢字と共に日本にあるが、今の中国には誰がいるんでしょうか?少なくても元の漢文化の持ち主ではないでしょう、元の支配以降のモンゴルなど大陸系の人々の可能性が高いです。

まあそれはともかく、何故そう思っているかというと、パート1のシーンで呉が初めて出てくる以下のシーンです。

(参考 youtube様:Seeking Zhou Yu )



なんと、城の本陣に鳥居のようなものがあります。

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これは周瑜がのっている旗艦にも鳥居と太鼓があります。

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はじめ、船の方は偶然だろうと思っていましたが、この本陣のシーンを改めてみて間違いないと思いました。明らかに鳥居を意識している。中国の大陸の方は鳥居に嫌悪感を示す方もいます。世界大戦と以降の反日教育の影響です。日本軍事国家=神道のような形です。

それにこの練習シーンのやけに統率のとれた感じ、どうにも日本的です。それと、この後、笛を吹く少年が現れたときに見せる周瑜の風流なところなど。漢文化を表していながら、なんとなく日本の匂いを感じてしまいます。最後に少年のおじいちゃんの牛が軍隊内の誰かが盗んだことを軍全体の責任として、個人の責任を問わせないところなど、わざわざそこまで描写するのって何だろうと冷静にみますと、本当日本的だなあと思ってしまいました。実際、諸葛孔明役は金城武さんですし、甘興(甘寧をモデルにした架空の人物に中村獅童さんがキャストされています。

その他にもいろいろと感じるところがあるのですが、誰かが作為的にメッセージを込めているしたら、こういうことでしょうか。
いずれ、三国志のような戦争がアジアに再発するかもしれない。その時、魏は勿論、中国でしょう。蜀は?中原たる中国から脱出して力をつけた国、そう台湾でしょうか。そして、呉は日本です。

などと妄想ですが、見るたびにそう思ってしまいました。

引き続きよろしくお願いいたします。

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お世話になっております。

浅間山の動きが気になるところですが、過去の浅間山の噴火は(参考wiki様:天明の大飢饉)を生み出しました。

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東北地方は1770年代から悪天候や冷害により農作物の収穫が激減しており、すでに農村部を中心に疲弊していた状況にあった。こうした中、天明3年3月12日(1783年4月13日)には岩木山が、7月6日(8月3日)には浅間山が噴火し、各地に火山灰を降らせた。火山の噴火は、それによる直接的な被害にとどまらず、日射量低下による更なる冷害をももたらすこととなり、農作物には壊滅的な被害が生じた。このため、翌年から深刻な飢饉状態となった。天明2年(1782年)から3年にかけての冬には異様に暖かい日が続いた。道も田畑も乾き、時折強く吹く南風により地面はほこりが立つ有様だった。空は隅々まで青く晴れて、冬とは思えない暖気が続き、人々は不安げに空を見上げることが多くなった。約30年前の宝暦年間(1751年-1763年)の4年、5年、13年の凶作があったときの天気と酷似していた。被害は東北地方の農村を中心に、全国で数万人(推定約2万人)が餓死したと杉田玄白は『後見草』で伝えているが、死んだ人間の肉を食い、人肉に草木の葉を混ぜ犬肉と騙して売るほどの惨状で、ある藩の記録には「在町浦々、道路死人山のごとく、目も当てられない風情にて」と記されている。しかし、諸藩は失政の咎(改易など)を恐れ、被害の深刻さを表沙汰にさせないようにしたため、実数はそれ以上とみられる。被害は特に陸奥でひどく、弘前藩の例を取れば死者が10数万人に達したとも伝えられており、逃散した者も含めると藩の人口の半数近くを失う状況になった。飢餓とともに疫病も流行し、全国的には1780年から86年の間に92万人余りの人口減を招いたとされる。
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恐ろしいですね。

この天明の大飢饉のころ、幕末にあって、荒廃する天皇陵、つまり古墳を調べのちに前方後円墳という名前の名付け親とされているのが、(参考wki様:蒲生君平)公。「寛政の三奇人」として高山彦九郎、林子平と共に良く知られている人物のようです。

後に、幕末の時代、宇都宮藩は天狗党などの尊王攘夷運動に巻き込まれ、宇都宮藩7万5千石を5万石に縮小、藩主・戸田忠恕を謹慎・隠居、さらに戸田家に奥州棚倉城(福島県棚倉町)へ領地替えの内命が出る事態にまでなったようですが、蒲生君平公の遺業により、幕末の宇都宮藩は大いに助けられたようです。

昼間の画像ですが、宇都宮二荒山神社に蒲生公を顕彰する石碑がたっています。

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明治14年5月31日政府は維新の功により蒲生君平にたいし特旨をもって正四位を贈られた。これを受けて宇都宮東京の有志の間で二荒山神社公園内に一大記念碑を建ててその志操功績を不朽に顕彰しようとする議が起こり全国的な資金募集が始められた。発起人として東京は久我建通、東久世道禧、下野は戸田忠友、樺山資雄等知名の士が名を列らね遺族を含めて36名であった。その結果全国有志の賛同を得ていよいよ其の(その)業が進み、明治22年6月12日盛大なる式典のうちに除幕完成をみたものである。 以上
追記
蒲生君平は宇都宮が生んだ偉人である。
考古学の用語「前方後円墳」は君平の造語である。
寛政の3奇人とは、林子平、高山彦九郎、蒲生君平である。
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時代の裂け目の偉人の方の顕彰碑。何かしら、浅間山の躍動とつながる様で、我々も日々を過ごしながら歴史を振り返り、どう生きていくか考えていく必要があるのかもしれません。

さてさて、タイトル通り春の到来です。花開けば 蝶枝に満つ。。。

例の(参考 youtube様:和楽器バンド 暁の糸)の冒頭の詩吟ですね。

(参考 youtube様:暁の糸)



まさにその詩吟のとおりの絵かと思ってしまいました。こちらは宇都宮中心街の釜川。

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街の活性化で、このようなところで花見が楽しめるようです。付近の店にデリバリー可能だとか。丁度、ハンバーグみたいなのを運ばれる風景をみました。今週末、天気あれそうですが、もし晴れたら改めていきたいなあと思いました。

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さて、花見の誘惑を振り切り、(参考:二荒山神社)様に伺います。大通り沿いの町中の神社ながら、まだまだ木々があり気が良いです。正面のライトアップもなかなか。21時までは参拝できます。

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拝殿で本日の目的、御祈願者のための法術のためにお水を賜ることなどをご報告し、ご加護を祈念いたしました。

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例の明神の霊水をいただきます。

(参考:呪符の効果確かなようです )

奥の稲荷さんに一言ご挨拶してからいただきます。ばっちりです!

帰宅後早速、呪符を作成しました。今回は何かノリノリであり、多めの供物をあげたのと、般若心経も多めにあげておきました。

引き続きよろしくお願いいたします。

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お世話になっております。

先週末は日曜日のことです。

奇門遁甲に従い南西を目指しました。なんと、東北道で鹿沼-栃木間で事故渋滞20kmとか。これは国道293、例幣使街道からいくしかないですね。行先は、時盤をとりやすいアシコタウンで映画が良いかなと。ここは妙に空いていて周りの景色もよく隠れスポットだと思っておりました。やはり吉をとろうとするとアゲインストが発生する、逆にいえば吉に間違いないエネルギーということ。

たらたらと例幣使街道を足利へ向かっていきますと、花の里などなかなか隠れスポットを見かけました。今度行ってみましょう。

さて、ぼーっと外を見ていますと、んん?!何故に菊水が!

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そう、栃木県で菊水の家紋ってなかなかありません。早速Uターンしまして、神社に行ってみます。

やはり菊水の神紋。。。。

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◎加茂別雷神社 様

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(ご由来)
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当神社は人皇五十一代平城天皇の御宇大同二年五月五日山城国加茂皇大神の分霊を菊水山に勧請し、爾来雷大権と称せり。
降而朱雀天皇天慶三年唐沢山城主田原藤太秀郷公平将門追討するに際し、本社に戦勝祈誓せしに速に将門誅に伏したり。
因に公の子息藤原千常公に至り、秀郷公崇敬篤かりし菅公像神体を当社の相殿に斎き奉り、社領を奉納し近郷十八箇村の総鎮守としたり。境内に八重の紅色菊花群生し美観を呈する中に霊泉湧出し集りて霊池を成す。これ菊水川の源にして大旱と雖も涸れし事なく、流路は山腹を迂曲して水田に灌漑し五穀豊穣の守護神と称し、嘉永四年(1851)五月社号を菊水神社雷大権現と称せしが明治維新の際現今の如く改称せり。明治中葉神霊に報賽し永世太々講を起し講員分布二県二郡に亘るを知る後霊験灼なるを感得し分霊を斎り長く報賽の請願に合い、それに分霊して今日尚年々報賽し来るあり。祭典は五月五日六日の両日にして、当夜には菊水川の下流に当り無数の灯火波紋に映し更闌くるに漸く社頭に接するの趣あり。古諺之を竜灯と称し世人の尊敬厚く実に稀有の祭典なり
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気になるところを赤字にしてみましたが、やはりこのエリアは俵藤太公(参考Wiki様:藤原秀郷公)にご縁ある寺社仏閣が多いです。百足退治伝説が有名ですね。
次に気になるのは、神社の名前から連想されますが、(参考 Wiki様:賀茂神社)
古代の賀茂氏の氏神を祀る神社で、古くは「賀茂大神」と称されていたようで、同系列として、「加茂神社」・「賀茂神社」・「鴨神社」などといった神社が日本各地に約300社あるとのことですね。

あと、よく読むと「八重の紅色菊花群生し美観を呈する中に霊泉湧出し集りて霊池」とあり、霊水が湧き出ていた場所で文章からすると山に近い場所にあったのではという感じです。実際、今の神社は移転されたらしいですね。これは元々のこの菊水の霊地、探索してみたくなりました。

境内内は普通の村社で普通の神社さんです。神主さんがいたらお話し伺いたいですが、次回にしましょう。

あと、実は同じ名前の神社が先ほど通り過ぎたところありました、1キロ程度です。また例幣使街道を戻ります。

こちら、(参考:賀茂別雷神社 様)様。こちらは山の中腹まで神社があり中々壮観です。

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(ご由来)
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「雷神を祭ればこの地は富貴安静となる」との神託によって、天智天皇8年9月5日(669年)、山城国(現在の京都府)賀茂鎮座の上賀茂神社を、菊水川の水源字菊澤に奉って、「賀茂別雷神社」と称したのが当社の始まりです
当神社の御祭神は「賀茂別雷の神」と申します。京都の上賀茂の地に「ちはやぶる わけつち山に宮居して、天下ること神代よりさき」と読まれ、遠い昔より、山の神、農業の神として奉られて、落雷除け、嵐除け、五穀成就、天下泰平の神として崇敬されてまいりました。当神社は天智八年(669)、「雷の神を祀れば、此の土地は富貴安静ならむ」との神宣により、菊沢山の中腹に社殿を建て、大神を奉り祭事を行ってまいりました。その広大なる御神徳により正徳五年(1715)、宗源宣旨により正一位の神階を賜りました。
現在の本殿は宝暦十一年(1761)の建築で、堂の彫刻は上州館林の住人斉藤甚平、甚八、両人の作で、竹林の七賢人、菊の花、竜など、めでたい物がたくさんございます。
その後、氏子の念願により、明治四十三年現地に遷座し、家内安全、落雷除け、交通安全などの祈願を行い、毎年4月15日には大祭を斎行して、元文四年(1739)新造の御輿の氏子内巡幸を行っておりました。神棚祭、氏神祭、地鎮祭、上棟祭、車のお祓いなども致しております。
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あれ、お祈りすると花の香りが。。。。これは梅ですね。このように祈る際に起きる現象は何かを暗示しています。まあ、普通に神仏に歓迎されていると素直に考えましょうか。

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こちらは、もろ、京都の(参考Wiki様:上賀茂神社)の分社様ですが、気になる文章が赤字のところです。「菊水川の水源字菊澤」、「菊沢山」のところです。また、菊絡みです。そして神紋は、三割の菊です。

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1キロ程度の近さで菊の神紋の神社が2つ、これは偶然とは思われません。きっと何かあると思いつつ、お祈りしていきます。

気が付くと神社内をお掃除されている女性にご挨拶しますと、「ヤギがいますよ」とのこと。あららやぎさん。

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気になったのがこの菊沢山の山の頂上近くに昔は本殿があったとのこと。また湧き水があるかなどを聞いてみますと、「あったみたいですね」とのこと。そうしますと「今は、手水舎が湧き水がでていますよ。ここの湧き水は山の中腹のタンクに貯められ、付近に展開されているんです」とのこと。

おお、また霊水ゲットポイントを得てしまいましたw 更に御山の頂上の探索もやってみたいですね。

「4月15日には雅楽などを奏でてお祭りがありますから、京都から取り寄せたお茶などを振るまっていただいて。そうですね、午前中には雅楽などは終わってしまうので、8時30分ぐらいには来られた方が」などの情報も得ました。この日は四柱推命卒論課がありますので、私はいけなそうですが、どなたかご興味ある方は散策されてみるとよろしいかもしれません。


さてさて、いずれにしましてもこのエリアは藤原秀郷にご縁のある方々が渡来してきたエリアの可能性が非常に高いようですね。近くには秀郷公の(参考:唐沢山城)もありますし。


さて、寄り道しすぎましたが、ぎりぎりで映画館へ。時盤の根付けを行いました。

あら、そうだ、奴らの事が気になるな、ちょっとこちらにバイアスかけてきたなあ。っと思っていると、前回、霊水を使えなかった、出流原弁天池の弁天様が夜の山の中腹に忽然と現れてきました。例幣使街道から見えるのです。よし、これはリベンジだ。

(参考:奇門遁甲を徹底して二カ所で霊水取る羽目に)

何か、千と千尋の神隠しにでてきそうな雰囲気。

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霊水をいただき、本殿で祈りました。

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振り返ると、夜景が。。。。

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ふと、この景色をみて、近頃はまっている和楽器バンドの(参考 youtube様:暁の糸)のプロモーションビデオを思い出します。詩吟ではじまる歌詞「花開けば蝶枝に満つ」美しく力強いですね。これは呪符を書く前から勝った気がしてきました。何卒、宇賀弁天よ、我にご加護を!破邪顕正の力を与え給え!我が法術成就ならしめたまえ!

(参考 youtube様:暁の糸)



本殿裏の、岩の裂け目からは霊気があがってきます。真っ暗です。

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ここは俵藤太公所縁でもありますし、日本昔はなしにもなっているようですね。市原悦子さんの声がまた、良いですw
(参考 daliymotion様:出流原弁天池)


出流原弁天池(時刻表示なし) 投稿者 nekodanka

ここにでてくる老人の神様は宇賀弁天様そのものでしょう。

この週末は呪符ご依頼はなかったのですが、自分の仕事の周りで何やら騒がしくなってきましたので、怨敵退散呪符を作ろうかと。悪念断波符は既に作って持っていたのですが。それと持つものに勇猛心を与える呪符を。別に私もいじめられている感覚はないのですが、客観的にみれば味方少なしの環境で、やってみましょうと。

(参考:恐るべし!「悪念断破符(悪念破断秘符 )」、「怨敵盗賊退散秘符 」の力! )

やはりその効力、験(げん)はもの凄いようで、寝る前まではずっと騒いでいる方が気になっていたのですが、翌朝「あれ?彼休むな?」とふとおもったのです。そうしたら、朝、その方が体調不良でドタ休みとなり、何やらこちらに向かっていた気が全て弾き飛ばされ、被ばくしたように思えたのでした。まあ、いずれしてもこちらは攻撃されない限り反撃する気はないです。専守防衛ですw
この呪符は、以前のイージス艦の説明でいえば、SPY1レーダーのActiveモードによる電磁波のジャミング程度でしょう。敵のミサイルを電磁波ジャミングでコンピュータを狂わせ自爆させる奴です。勿論、それでも攻撃してくるなら、次はシースパロー、艦対空ミサイルによる迎撃、それでもやめない人には主砲攻撃、更にCIWSによるバルカン砲攻撃など呪符にも多彩な相応のメニューがございますw
いや、磯山宇賀弁天様の霊水の力恐るべしと実証検証できました、ありがとうございます。

(参考:精神的な攻撃への呪符による防御はイージス艦のSPY1レーダーと同じようなもの )

話が発散しました、失礼しました。

地名の話に戻りますが、海、川、沢、窪などの地名には水が絡んでおり、埋め立て地だったりします。水は命の源ですが一度暴れだすと恐ろしい力があります。話が飛びますが、昨日、埋め立て地にある某大手外資系会社に伺ったのですが、その建物の素晴らしさに反して、建物内部にも何か寂しさがあります。なんというか色が薄いというか。オーラ的なものですかね。土地も海風がぴゅうぴゅうでいつきても寂しさがあります。必ず事業にも影響がでるでしょう。昔の戦争、合戦場跡なども注意です。霊現象などが起きるようですね。
実際、そのような目に見えない影響があるだけでなく、大地震ともなれば地盤の流動化、海からの津波にも注意が必要です。土地の名前、皆様も地名や寺社仏閣の歴史に残る先人、ご先祖からのメッセージがあると思います。皆様も機会がございましたら、ふと耳を傾けてみてはいかがでしょうか。

宇都宮帰還後は、夜食はこちらで。

(参考 食べログ様:濃厚豚骨NOTON 様)

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この日は、とんこつで味噌を。うまい!!

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帰宅後は、呪符作成後、晩酌を軽くしました。

引き続きよろしくお願いいたします。

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お世話になっております。

昨日は宇都宮でした。24日から雪が降るということで(今今降っとりますが)スタッドレスタイヤに入れ替えていただいたり、床屋に行ったりしました。

空を見上げると怪しい雲。

曇天

3.11の時も妙な黒い雲が覆っていました。Harrpの電磁波がなせる雲でしょうか?w
とりあえず、11月23日、松原照子さんがいう魔の水曜日でなかったようでよかったです。(まだ、11月25日のカバラ合計18、666は警戒中ですw)

床屋に行っている間、見ていた(参考 Wiki様:元寇) 

中国、朝鮮、それどころか広大なユーラシア大陸のほとんどを征服したモンゴル帝国。チンギス・カンは「黄金の国ジパング」へ触手を伸ばしてきました。

このような降伏勧告文章を送ってきたらしく。
(上記、wiki様 元寇より)
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天の慈しみを受ける
大蒙古国皇帝は書を 日本国王に奉ず。朕(クビライ・カアン)が思うに、いにしえより小国の君主は 国境が相接していれば、通信し親睦を修めるよう努めるものである。まして我が祖宗(チンギス・カン)は明らかな天命を受け、区夏(天下)を悉く領有し、遠方の異国にして我が威を畏れ、徳に懐く者はその数を知らぬ程である。朕が即位した当初、高麗の罪無き民が鋒鏑(戦争)に疲れたので命を発し出兵を止めさせ、高麗の領土を還し老人や子供をその地に帰らせた。
 高麗の君臣は感謝し敬い来朝した。義は君臣なりというが その歓びは父子のようである。この事は王(日本国王)の君臣も知っていることだろう。高麗は朕の東藩である。日本は高麗にごく近い。また開国以来時には中国と通交している。だが朕の代に至って
 いまだ一度も誼みを通じようという使者がない。思うに、王国(日本)はこの事をいまだよく知らないのではないか。ゆえに特使を遣わして国書を持参させ朕の志を布告させる。願わくは、これ以降、通交を通して誼みを結びもって互いに親睦を深めたい。聖人(皇帝)は四海(天下)をもって 家となすものである。互いに誼みを通じないというのは一家の理と言えるだろうか。
兵を用いることは誰が好もうか。王は、其の点を考慮されよ。不宣。
   至元三年八月 日
— 宗性筆『調伏異朝怨敵抄』蒙古國牒状、東大寺尊勝院文書
大蒙古國皇帝奉書
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当時の日本の人々の恐怖は最高潮だったのではないでしょうか?ヨーロッパの方々もモンゴルには恐怖をいだいていました。

まあ、あれだけ広大な領土を征服すればこのような極みに至るのも無理はありません。しかし、日本は神の国でしたw

更に読み続けると、鎌倉幕府軍は3ヵ月も激戦ではじき返しています。そんなうち、モンゴル軍は疫病が流行りだし浮足立ってきます。そこに台風(所謂、神風)が来たのですが、全滅したわけではありません。被害を受けていない艦隊も大勢いました。神風については、戦後、GHQが日本人の民度を下げるために台風のお陰だけで勝てたと微妙に歴史改竄をしています。ヨーロッパ白人の方々もまともに戦って勝てなかった相手に勝ってもらうと非常に都合が悪い。そういうことです。
このようなディティールレベルからトラップがあります。要注意ですw(また、別途、解析したいと思います)

いずれにしろ、そこに鎌倉幕府軍は最強の軍団を編成し、出撃命令を下したのでした。元寇を壊滅させるため。既に、屈強な九州勢のみで勝敗は決していたのでしたが。

こちらを見ていると、宇都宮の文字が。

(参考 Wiki様:宇都宮貞綱)公
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宇都宮 貞綱(うつのみや さだつな)は、鎌倉時代中・後期の武将。鎌倉幕府御家人宇都宮氏第8代当主。宇都宮景綱の子。母は安達義景の娘。興禅寺を開基したことで知られる。北条氏得宗家(鎌倉幕府第9代執権)の北条貞時の偏諱を受けて貞綱と名乗る。
弘安4年(1281年)の元寇の弘安の役では8代執権・北条時宗の命を受けて山陽、山陰の6万もの御家人を率いて総大将として九州に出陣した。その功績により戦後、引付衆の一人に任じられた。
時宗の死後は北条貞時に仕えて嘉元3年(1305年)、嘉元の乱では貞時の命を受けて北条宗方誅殺に協力した。
正和元年(1312年)、亡母の13回忌に全国的にも珍しい巨大鉄製塔婆を奉納した(宇都宮市清巌寺蔵:国の重要文化財)と言われている。
正和5年(1316年)7月25日、51歳にて死去した。法名は蓮昇、法号は興禅寺。
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これは由縁のお寺行ってみねば!と夕方ぎりぎりでしたがお伺いしてみました。

(参考:興禅寺 様)

(参考 Wiki様:興禅寺 (宇都宮市))

立派な山門です。
興禅寺 (宇都宮市)

これは!

興禅寺 (宇都宮市) 元寇より護国の英雄の墓、太平記の英雄の墓

中に進ませていただきます。

興禅寺 (宇都宮市) 境内へ

境内でお掃除をしていた方、一発でご住職っぽい方に貞綱公のお墓の在りかをお聞きすると、するするとお寺の歴史を。

ご住職「実はこちらは家墓です。昔は山にお墓を立てて、里に参りやすいようにたてたのです。実際は益子町に宇都宮家の墓がありますが、そちらにあるかと」

私「あっいったことがあります」
実は東北新幹線の(参考JR東日本様:トランヴェール)で特集されたことがあり、行っておりましたw

それに家墓の話。風水的、奇門遁甲的な要素もあるのかもしれません。呪術セミナーでも似た話がでたような?

興禅寺 (宇都宮市)右が貞綱、左が公綱公の墓の門

興禅寺 (宇都宮市)右が貞綱、左が公綱公の墓

右が貞綱、左が公綱公、双方、英雄ですが、左の方は、わが先祖ご縁の楠木正成公と大阪で戦った坂東一武者!

(参考 Wiki様:宇都宮公綱)

(参考:あの伝説の?神戸特別講義「奇門遁甲秘伝(一)」からもう半年。。。 )
こちらでは湊川神社に詣でましたっけ。

これもご縁でございます。。。。。

日本を守っていただいたことに感謝し、ご冥福を祈りつつ、また来ている危機に対する護国の息吹お分けくださいと念じました。

ふと、NHK大河ドラマ北条時宗のテーマ曲が頭の中で鳴り出しました。
(参考 youtube様:Kazuki Kuriyama ft. Namjiliin Norovbanzad )



時宗公、貞綱公、そして鎌倉武士団の皆様。あなた方の気迫、モンゴル帝国を押し返しましたぜ。

真面目に帰り際、グワっと何か感じました。


こちらは後世の徳川政権の幕僚、奥平公のお墓。
興禅寺 (宇都宮市) 徳川政権の幕僚、奥平公のお墓

清々しいお参りでございました。

そして、先日も書きましたイスラエル、ユダヤの方々の民度の高さ。自ら生きる強固な意志。これは見習わねければなりません。黙って侵略者を受け入れて滅んだマヤ文明。これが今の日本に起こらないと誰が言えましょうか。
我々はモンゴル帝国軍をまともに戦って打ち破ったご先祖、諸先輩方の末裔なのですから。

(参考:「天は自ら助くる者を助く」 ユダヤ陰謀論に傾く前に知りたいこと 『六日戦争』 )

さて、その後は、温泉です。場所は佐久山。

佐久山温泉きみの湯

(参考:佐久山温泉 きみの湯)

美肌の湯、トロトロの源泉かけながしの温泉も最高ですが、地産地消なのであります。野菜をゲット。

20161123_12.jpg

帰宅後は、こちらの仕事があり、祈祷をしてから、鍋にしました。

引き続きよろしくお願いいたします。

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