お世話になっております。

先週末の土曜日は雨が降っており、地元、宇都宮の近場を散策しておりました。ちょっと市役所に用事があり、二荒山神社向かって右のビルにある宇都宮バンバ出張所に伺います。こちらは土日も9-19時やっていて便利です。職員さんがささっと寄ってきて用事を聞いてくれるので安心ですね。こちらには国際交流コーナーなどもあり外国の方もいて土曜日にも関わらず賑やかでした。

折角、この辺に来たので、餃子でも食うかと、交差点向かって反対側にあるメガドンキの地下にある(参考 宇都宮餃子会様:「来らっせ」)さんに向かいます。

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こちらの店は宇都宮餃子会に属する店舗の各餃子を日替わりメニューとして楽しめる店舗と、常設の5店舗でフードコート形式の2つのスタイルで宇都宮餃子の見本市ともいえるお店となっております。

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今回は常設店舗側に行ってみます。

(参考:ぎょうざの龍門)(参考:宇都宮餃子 めんめん)(参考:宇都宮 餃子みんみん)(参考:宇都宮餃子 さつき)(参考:香蘭)の5店舗が入っています。

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色々食べましたが、龍門さんの明太子チーズ餃子。名前だけでうまそうですがやっぱりうまし。

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香蘭さんの黒スープ餃子がコクのある甘辛スープにジューシー餃子でうまし。

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同じく、香蘭さんのネギ塩餃子がネギ塩との組み合わせ絶妙です。これはそのまま食べてOKです。やみつきになりそうw

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そもそも、宇都宮餃子って突如、騒ぎ出して気が付いたら有名になっていたという感じですが、私の知ってる限りですと、宇都宮市の観光担当の企画課長さんが、餃子の消費量が日本一という統計データから発案して、宇都宮餃子を売り出そうとなったと聞いています。(間違いでしたら、どなたか教えてください!)その流れなのか、山田邦子さんがでていた(参考 Wiki様:「おまかせ!山田商会」)という番組で、町興し企画・宣伝の一環で、餃子の像を大谷石で作ろうということになり、更に宣伝になったと。この話だけですと、故事付けで宣伝しただけのように思えますが、ネタにしていた消費量が日本一だったということは、ラーメン屋や中華屋さんだけでなく、元々、やはり餃子専門店も多かったことにつながります。

何故に宇都宮に餃子専門店が多かったのか?一応、歴史的経緯としては、宇都宮には大日本帝国陸軍第14師団が、明治40年9月からおかれ、衛戍地を満州としたことから宇都宮出身の軍人が帰国に際して本場の餃子の製法を持ち込んだのが始まりといわれています。多くの軍人が宇都宮を経由して満州に渡り、その際、餃子の洗礼をうけたというのです。大陸で餃子の製法を身に着け、帰還後、日本でその味を思い出し広げたというお話しです。

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大陸では当時、豚肉は高級で手に入らなかったらしく、羊の肉を使ったようです。その臭みを消すために、ニンニクなどやニラ、ネギなどの香味野菜を入れてつくったようです。中国の餃子には入っていないニンニクが入っているのはそうした理由のようですね。羊の肉を使わなくなった今でもニンニクなどを入れているのはある意味、宇都宮餃子の伝統になったわけですね。

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満腹になったあとは、その時は奇門遁甲では東が吉方でありましたので、芳賀町のロマンの湯に向かいました。良い湯でした。

引き続きよろしくお願いいたします。


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お世話になっております。

(参考 Wiki様:転生輪廻(てんしょうりんね))ってご存知ですか?所謂、生まれ変わりというやつです。

(Wiki様)
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転生輪廻(てんしょうりんね)とも言い、死んであの世に還った霊魂(魂)が、この世に何度も生まれ変わってくることを言う。ヒンドゥー教や仏教などインド哲学・東洋思想において顕著だが、古代のエジプトやギリシャ(オルペウス教、ピタゴラス教団、プラトン)など世界の各地に見られる。輪廻転生観が存在しないイスラム教においても、アラウィー派やドゥルーズ派等は輪廻転生の考え方を持つ。
「輪廻」と「転生」の二つの概念は重なるところも多く、「輪廻転生」の一語で語られる場合も多い。この世に帰ってくる形態の範囲の違いによって使い分けられることが多く、輪廻は動物などの形で転生する場合も含み(六道など)、転生の一語のみの用法は人間の形に限った輪廻転生(スピリティズム、神智学など)を指すニュアンスで使われることが多いといえる。
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あらためて調べてみますと、別にインド、東洋思想、仏教だけにある話ではないのですね。だって、ギリシャのピタゴラス教団とかプラトンとかも信奉していたって書いてあります。

仏教の中にはお釈迦様の弟子のお母さんが牛になっていたりそういう話が結構出てきます。輪廻転生といえば、あの絵が一番素晴らしい。そう、熊野十界曼荼羅ですね。こちらは自宅の奴です。いいでしょう?これは確か、埼玉の妻沼聖天さんで購入したと思います。今も売っているかはわかりませんが。

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(参考:未戒で死ぬのは止めた方がいいらしいっす )

で、タイトルにもどりますが、生まれ変わりのお話しで、菅原道真公⇒平将門公⇒太田道灌公という俗説があるらしいのです。

菅原道真公は学問の神様と言われる天神さんですね。めちゃくちゃ頭が良い方だったようですが、九州に左遷され怒りのまま亡くなり怨霊神となったといわれていわれています。天皇家も亡くなった後、都に怪異が続いてびっくりして顕彰しなおして神様にしてしまったようです。

続いて平将門公も天皇家に連なる方で、義に篤く、本人は意図することなく気が付いたら関東王国のような状態になり謀反人として征伐されてしまった悲劇の武将ですが、徳川家康公は侍の始まりを起こした方として顕彰しております。皇居近くに首塚がありますね。動かそうとすると死者が出て大変だというものです。

そして太田道灌公はこの東京の基礎のなる江戸に江戸城を築いた初めの方だったようです。相当な方ですよね。この場所を見定めたのはそうとうな方なはずです。東京には彼の作った遺構があちこちに残っています。

そもそもこのような生まれ変わり説につながったのが「これは、太田道灌公の父が道真公という名であったこと、道灌公もまた将門公のように首だけが別に祀られている首塚があることなど」があげられておりますが、「道灌公は菅原道真公を大変尊敬していたようでもある。なにしろ道灌公は、神社を城内に建立しただけでは飽き足らず、菅原道真公を祀って梅林も作っている。その場所が今でも都内の梅の名所として知られている皇居東御苑の「梅林坂」だ。菅原道真公を祀る天神さまに、梅の木はもちろん欠かせないものではあるが、さらにそのそばに天神堀というお堀まであり、その傾倒ぶりには驚かされる。生まれ変わり説はもしかしたら、道灌公自ら吹聴していたのかもしれない。」

(参考 AERA.dot 様:「江戸城」に隠された太田道灌と菅原道真の関係)

こんなお話しを拝見していたので、昨日は陰遁開始の日ということでお昼休みに散策したのが(参考:平河天満宮)様です。

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(歴史)
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江戸平河城城主太田道灌公が、ある日菅原道真公の夢を見ました。そして、その翌朝菅原道真公自筆の画像を贈られたこともあり、その夢を霊夢であると思い、文明十年(一四七八年)に城内の北へ自ら施主となり、天満宮を建立しました。(「梅花無尽蔵」による)その後も周囲に多くの梅の木を植え、やがてここを梅林坂と呼ぶようになり、今も皇居平川門内にその名が残っています。
徳川家康公の江戸平河城入城後間もなく、築城のため本社を平川門外に奉遷しましたが、慶長十二年(一六○七年)二代将軍秀忠公に依り、貝塚(現在地)に奉遷されて、地名を本社にちなみ平河町と名付けられました。徳川幕府を始め紀州、尾張両徳川家、井伊家等の祈願所となり、新年の賀礼には、宮司は将軍に単独で拝謁できる格式の待遇を受けていました。また学問に心を寄せる人々は、古来より深く信仰し、名高い盲目の学者塙保己一や蘭学者高野長英等の逸話は、今日にも伝えられています。
現在も学問特に医学や芸能、商売繁盛等の祈願者が多くあります。
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永田町駅から平河町方面にありますね。この辺も気がいい感じがします。

神社も気持ちいい気を感じました。

菅原道真公といいますと、聖天信仰を篤くされていた方としても有名です。天神あるところに聖天ありみたいな。そう考えると、湯島天神さんと湯島聖天さんがありますね。そして、どちらも道灌公にご縁がある寺社のようですね。

太田道灌公は凄くできる方で逆に上司に疎まれて最後は暗殺されてしまった悲劇の方のようです。一種の怨霊神化してもおかしくない方ですね。あとおもしろいのは彼の家紋が桔梗紋であることです。

(参考 お役立ち!季節の耳より情報局 様:太田道灌の家紋を解説|初代江戸城を作ったとされる扇谷上杉家の戦国武将 )

桔梗といえば?明智光秀公。そして、明智光秀公が実は死んでおらず家康公の宗教政策の黒衣の宰相、天海大僧正になっていたという説もありました。日光の東照宮には桔梗紋があり、そしていろは坂には明智平がある。まあ、光秀公=天海大僧正説はともかく、支族の方々に何らかの関連性があるのはあり得る話ですね。特に関東ならば、安房忌部、将門公の秩父平氏など調べる必要がありそうですね。神仏でいえば、北斗信仰、妙見菩薩につながっていきます。そして、日光東照宮の陽明門には北斗七星が輝くのでした。

東京も調べれば調べるほど面白いですね。

さて、夜になり、長年お世話になっている私のITの師匠のような社長さんと仕事のお話しをするいうことで、そうだ、6/1-6/10は神楽坂の(参考 食べログ様:鉄板焼きマリアージュ)さんで一周年ということでサービスがあるということを思い出しました。ウェルカムドリンク1杯無料でありがたいです。白ワインをいただきました。

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こちらのマスターは鉄板道を究めようとしている方。やはりマスターの師匠も凄い方々がいるようです。その師匠のお言葉にはどの業界でも通じるようなお話しがありますね。

「料理人は味は当然として楽しみを提供しなくてはいけない」

これなどは断易の妻財(金、女、飯)を得るには、直接、自分たる兄弟の位置から、妻財を得ようとすれば剋の形となりますし、生かす方向は子孫(子供のような喜び、楽しみ)を相生しなくてはいけない話につながります。

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このIT社長さんも、20年以上前、私がまだエンジニア駆け出しだったころからご指導いただいた方でした。この当時の開発に対するスピリッツは今の私の基盤となるといっても過言ではないでしょう。やはりどの世界でもお師匠様は大切です。

めくるめくるいつもの美食と楽しいひと時を頂き、終電近く。急いで東京駅に向かいました。東北新幹線の終電で帰宅しましたが、腹が苦しくて全開にしておりました。

引き続きよろしくお願いいたします。


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お世話になっております。

先日の霊符・呪符、鑑定書のゴールデンウイークセールですが、3割引枠は以下の状況です。

(参考:5月5日(丁酉)立夏に霊水取得し霊符作成予定です )

GW中のセールについては先日予告にて記載した以下の通りですが、既に数件、お問い合わせがありまして、以下の残り分となっております。ご了承の程お願いします。

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(再掲)
「GW割引きセール」をしたいと存じます。

・霊符/呪符 (先着 3名様 ⇒ 残り2名様 ⇒ 残り1名様  3割引き、期間内統一2割引き)
・鑑定書    (先着 3名様           ⇒ 残り2名様 3割引き、期間内統一2割引き)
※鑑定書は全てハンドメイクのため、ご入金後、2ヵ月~3ヵ月程度、また大人数の依頼が来た場合には納期がずれ込む可能性がございますので、都度、申し込み時にご連絡いたします。予めご了承の程お願いします。
(現在は、近々、納品予定1件の状況です)

ご希望の方はお早めに問い合わせより願望のご連絡をお願いします。なお、セール対象の申し込み締め切りは、5月1日とさせていただきます。(流石に後半の時間をいただかないと作成が厳しいですので)

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本日中でしたら、3割枠が若干残、2割引とさせていただく状況です。ご興味ある方はお早めにご連絡お願いします。


さて、先日は、また奇門遁甲を使って運気を高めておりました。

明らかに吉方を取得を続けると、目的に応じてジャックポットのように吉祥が放出される、という現象を過去に何度も体験しております。吉方を取り続けていると吉方を取りやすくなります。これは逆も然りで、一度、悪い方位をとると、その後、中々良い方位を取りにくくなったり、どう動いても悪い方位に囲まれ続けたり、行きたくないのに呼ばれたりするものです。特に普段からあまり行かない場所に行く際には、特に吉方を取るように心がけるのが大切だと思います。

この日の南東方向、日盤は丁乙(焼田撒種、吉)、傷門(小凶)、で、時盤は午の刻、甲丙(青龍返首、大吉)、生門(吉)でした。日盤の傷門が微妙ですが。

この日は朝はそれほどでもなかったですが、昼間は夏日でした。程なく出発し、北関東自動車道から常磐自動車道へ。その後、圏央道へ向かい、大体、160キロ程度ですね。暑いのでクーラーをつけますが、途中、変な車が多く、追い越しするのに少し吹かしたり、ちょっと車に負担かかってるなあ、と思いました。

2時間弱で到着しました、(参考:香取神宮)様です。

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(御由来)
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〇主祭神:経津主大神(ふつぬしのおおかみ)
<又の御名伊波比主命(いはひぬしのみこと)>

〇御祭神の神話
皆さんは、出雲の国譲りの神話をご存じでしょうか?香取の御祭神 経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、この神話に出てくる神様です。はるか昔、高天原(天上の神々の国)を治めていた天照大神(あまてらすおおみかみ / 伊勢神宮・内宮の御祭神)は、葦原中国(あしはらのなかつくに / 現在の日本)は自分の息子が治めるべきだとお考えになりました。葦原中国は荒ぶる神々が争い乱れていたため、天照大神が八百万神に相談すると、天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで出雲国の大国主神(おおくにぬしのかみ)の元に遣わされましたが、天穂日命は大国主神に従い家来になってしまいました。次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされましたが、天稚彦もまた忠誠の心なく、大国主神の娘である下照姫(したてるひめ)を妻として自ずから国を乗っ取ろうとし、天照大神の元に戻りませんでした。このようなことが二度つづいたので、天照大神が八百万神にもう一度慎重に相談すると、神々が口を揃えて、経津主神こそふさわしいと言いました。 そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ / 鹿島神宮の御祭神)も名乗り出て、二神は共に出雲に派遣されることとなりました。出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いた経津主、武甕槌が十握剣(とつかのつるぎ)を抜き逆さに突き立て武威を示すと、大国主神は天照大神の命令に従い葦原中国を譲りました。二神は大国主神から平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、日本の国を平定して、天照大神の元へ復命されたのです。

〇御神徳
古くから国家鎮護の神として皇室からの御崇敬が最も篤く、特に『神宮』の御称号(明治以前には伊勢・香取・鹿島のみ)を以て奉祀されており、中世以降は下総国の一宮、明治以後の社格制では官幣大社に列し、昭和17年、勅祭社に治定され今日に至っています。奈良の春日大社、宮城の鹽竈神社を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでいて、広く尊崇をあつめています。一般からは家内安全、産業(農業・商工業)指導の神、海上守護、心願成就、縁結、安産の神として深く信仰されています。さらに、その武徳は平和・外交の祖神として、勝運、交通 安全、災難除けの神としても有名です。

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経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、神話の神様であり、強力な護国の神様、武の神様ですね。明治時代以前は、伊勢神宮、香取神宮、鹿島神宮のみだったんですね。ゴールデンウイークともあって参拝客はたくさんこられていました。

中央の大鳥居からは大きな雲を背に雄大な気を感じます。

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参道は紅葉の木がたくさん緑の葉をつけていました。秋の紅葉は最高でしょうね。でも、太陽を背にした緑の参道も最高です。清々しき気のシャワーをいだきつつ本殿へ向かいます。やはり、霊符・呪符作成においては気の力が要となりますので。

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こちらの楼門の額は明治時代、日本海海戦においてロシアバルチック艦隊を撃破せしめた東郷平八郎元帥の筆によるものだそうです。何かと神話的にも護国、武の神様なので政治家や武人の尊崇が篤い感じでしょうか。

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本殿です。凄い並んでいますが、本殿前10メートルぐらいの例の気の凝縮点では、大地の気が全身を駆け巡る瞑想をしつつ、折角なので例の神道灌頂で賜った印や真言を小さな声で唱えます。勿論、順番がきたら賽銭箱の前で二礼二拍手に交じえこれをもう一度サクっとやります。(いずれにしても、「自分の名前、生年月日、〇〇神社一切諸神善神に奉ります。そしてお願い事」という形でお願いすると良いです。)

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御神籤を引きますと、おお、大吉、上々です。その後は宝物館へ。

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こちらにはイミテーションですが、正倉院御物及び四国大山祇神社の神鏡とを合わせて『日本三銘鏡』と称され、昭和28年に国宝に指定、千葉県の工芸品で唯一の国宝である、「海獣葡萄鏡」が展示されています。こちらは現地で授与品で書道に使う文鎮(ぶんちん)として販売していて、十年前ぐらいにお参りした際に購入しており、これを霊符作成の時に使っています。

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本殿を一周しました。三本杉などもパワーありますし、安倍総理の大和心の石碑もよいですね。別に安倍総理でなくても宝物館には歴代総理の寄進のものがありました。

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本殿の散策は終わり、帰りに、要石(かなめいし)をお参りです。

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要石(かなめいし)は、鹿島神宮と香取神宮にあり、地震を鎮めているとされ、大部分が地中に埋まった霊石です。地上部分はほんの一部で、地中深くまで伸び、地中で暴れて地震を起こす大鯰あるいは竜を押さえているのだそうです。鹿島神宮は凹型で、香取神宮は凸型のようです。

ある意味こちらも龍穴のような場所なのでしょうか。

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駐車場に戻り、車のエンジンをかけますが、ん?何かギア切替が変です。一旦、エンジンを停止し、もう一度かけなおすと、大丈夫で、ホッとしましたが、ちょっとギア切替の雰囲気が気になります。ずっと走っていて落ち着きましたが、やはり奇門遁甲の盤で、吉盤でも動作が無意識に荒くなるという丙や傷門のような要素は要注意かもしれません。(勿論、戦格、死門などの凶方はモロきますのでもっての外です)パワースポットも機械に影響を与える場所もあるようです。磁場が違うという場所で音響機器が変な動作したことが過去にありますし。それだけ効果にも影響するということでしょうが。最も大切なのは目的をもって吉方を求めることが肝要なようです。

さて、香取神宮で清々しく気をいただき、続いて、前から行きたかった(参考 香取市:伊能忠敬記念館)に伺います。

香取神宮から2,3キロ程度ですね。水郷の街、佐原にきますと、小江戸情緒のある街並みが並んでいます。

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伊能忠敬記念館に到着です。伊能忠敬公や、

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測量の道具が。

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今回は企画展でシーボルト関連の陳列があるようですね。

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こちらから入ります。「御用 測量方」の旗が。後でこの意味を知りますw

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館内撮影禁止にて、パンフレットの画像のみで失礼します。

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伊能忠敬公はどのような人だったのか?

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江戸時代、日本国中を測量してまわり、初めて実測による日本地図を完成させた人です。 忠敬は、延享2年(1745年)現在の千葉県九十九里町で生まれ、横芝光町で青年時代を過ごし、17歳で伊能家当主となり、佐原で家業のほか村のため名主や村方後見として活躍します。その後、家督を譲り隠居して勘解由と名乗り50歳で江戸に出て、55歳(寛政12年、1800年)から71歳(文化13年、1816年)まで10回にわたり測量を行いました。その結果完成した地図は、極めて精度の高いもので、ヨーロッパにおいて高く評価され、明治以降国内の基本図の一翼を担いました。
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忠敬公は婿養子で伊能家に入り、酒蔵でもあり米問屋だった名家を3倍ぐらいに大きくしたようですね。長者番付にのったようです。当時の貨幣は両でしたが、1両が現在の15万円程度だそうで、忠敬公、29歳ぐらいで年収5000万円程度から、20年間の経営で3倍の1億5000万ぐらいに年収アップしていたようです。物凄く経営手腕がある方、やり手だったようです。しかも館内にあった以下の家訓を見ていただければ、どのくらい真っすぐで、謙虚、謙譲で努力家なのが分かるでしょう。やはり、すぐに怒って一期一会の縁を大切にしない人、相手を尊重し意見を交換しあえない人、自分の程も知らずに威張る人、権威を振りかざす人、争いを好む人は成功しないのです。(以下の家訓を反対にすれば成功しない人になりますw 気を付けましょう)

〇伊能家家訓

第一 仮にも偽をせす孝弟忠信にして正直たるへし
第二 身の上の人ハ勿論身下の人にても教訓異見あらは急度相用堅く守るへし
第三 篤敬謙譲とて言語進退を寛容に諸事謙り敬み少も人と争論など成べからず

天明の大飢饉のときには、自ら村の有力者と相談しながら、身銭を切って米や金銭を分け与えるなど、貧民救済に取り組んだようです。正に家訓を実施されていますね。

それだけでないのが凄いのですが、元々勉強好きで特に暦の学問が好きだったようです。経営を安定化させて、50歳で隠居に入り、第二の人生ともいうべき地図研究が始まります。なんと50歳で、幕府の天文方の改暦作業に係っていた民間の研究家の方ですが、当時高名であった31歳の高橋至時公に弟子入りしたそうです。弟子入りした忠敬公は、19歳年下の師至時に師弟の礼をとり、熱心に勉学に励んだそうです。この姿勢には大いに学ぶものがありますね。

暦の学問は占いにも通じる世界でして、江戸時代には星の観測や暦の編纂、修験道者への免許などを取り仕切る、土御門家(つちみかどけ)なども含め、館内陳列には暦に係る流派の流れに忠敬公も列せられていました。
余りに精巧な地図を自己研究のみで作成し、幕府へ献上し、ついに、公の事業として認められてしまい、幕府「御用 測量方」として、全国行脚の旅が始まります。地図を作るには、太陽、月、北極星の位置を図り、角度や距離を測ったり、計算していくようです。様々な測量器具は星を見る望遠鏡や、十二方位があるコンパスは風水の羅盤のようなものもあり興味深いです。特に、測量方が定位置を決める際に立てる棒のようなものが、梵天(ぼんてん)といい、これがそのまま各地の梵天祭でつかうような物干し竿の先にひらひらがついているような形で凄く納得でした。
これらを使いながら、終生をかけて日本地図をつくったそうです。記念館入ってすぐにあるランドサットの日本地図と伊能忠敬公の地図がほぼいっちしているのに驚かされます。
また企画展のシーボルトですが、シーボルトの子孫の方がシーボルト事件にもなった忠敬公の地図を持ち出そうとして罰せられた後、忠敬公の地図を模写したりしたものがシーボルト家に温存されており、これを伊能忠敬記念館にお貸しする形で展示されておりました。皆、熱心にみられていましたね。本当、忠敬の偉業もさることながら、このような歴史館で歴史を知ることもまた知的好奇心を満たしてくれてよい時間をいただきました。

※館内入ってすぐの場所に、お子様がおられる方は、小中学生向けのワークシートがあり、これは一枚ずつ全ていただいて、是非トライしてみましょう。各展示物の場所にヒントがありますから、これをやっていくと、終わるころには忠敬公マスターになれるかも?ですw 

程なく見学を完了し、目の前の、忠敬公も訪れた?お茶屋で珈琲を一杯賜ります。テレビの撮影に使われたそうですね。

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旨い!癒されます。

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帰りに近くの佐原の道の駅で地産の野菜などを買い宇都宮へ帰還しました。かなり地元の食材が充実の道の駅だと思います。

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今回も充実のドライブとなりました。

引き続きよろしくお願いいたします。

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お世話になっております。

昨今、オンオフ共に忙しくブログ更新が遅れておりました。溜まっていた写真もあるので展開させていただきます。

先日は、栃木県下野市にある(参考 下野市観光協会様:天平の丘公園)様によりました。

こちらには古墳群や国分寺、国分尼寺、下野薬師寺跡地、そして歴史資料館などがあります。

この付近はともかく古墳がおおいです。以前、摩利支天塚古墳にお伺いしたことはありまして、巨大な前方後円墳でした。円墳の上に祠があり摩利支天が祀られていて、例大祭もおこなわれているようでした。古代の王の墓なのに神、それも天部神(てんぶしん)が祀られているって不思議ですよね。

広いエリアなのでじっくりみると1日コースでしょう。今回は国分尼寺の跡地と歴史資料館に立ち寄りました。

跡地とは言えなかなか感慨深いです。

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そもそも(参考 Wiki様:国分寺)って全国あちこちに地名がありますよね?その理由が結構重要だったりします。

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国分寺(こくぶんじ)は、741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院であり、国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)に分かれる。正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」。なお、壱岐や対馬には「島分寺(とうぶんじ)」が建てられた。

日本の国分寺・国分尼寺の先例として、隋王朝を建てた文帝・楊堅による大興国寺(大興善寺)があった。その後の唐王朝では、則天武后による大雲寺、中宗による竜興寺観、玄宗による開元寺があった。聖武天皇は、天平9年(737年)には国ごとに釈迦仏像1躯と挟侍菩薩像2躯の造像と『大般若経』を写す詔、天平12年(740年)には『法華経』10部を写し七重塔を建てるようにとの詔を出している。『続日本紀』『類聚三代格』によれば、天平13年(741年)2月14日(日付は『類聚三代格』による)、聖武天皇から「国分寺建立の詔」が出された。その内容は、各国に七重塔を建て、『金光明最勝王経(金光明経)』と『妙法蓮華経(法華経)』を写経すること、自らも金字の『金光明最勝王経』を写し、塔ごとに納めること、国ごとに国分僧寺と国分尼寺を1つずつ設置し、僧寺の名は金光明四天王護国之寺、尼寺の名は法華滅罪之寺とすることなどである。寺の財源として、僧寺には封戸50戸と水田10町、尼寺には水田10町を施すこと、僧寺には僧20人・尼寺には尼僧10人を置くことも定められた。
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とありますように、国分寺は僧侶の寺で「金光明四天王護国之寺」、国分尼寺は尼僧の寺で「法華滅罪之寺」として、全国、国単位、今でいえば県単位に設立して、僧を常駐させ、国家鎮護を祈らせたようです。

(参考 Wiki様:護国三部経)という経典があります。

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護国三部経(ごこくさんぶきょう)とは『法華経』『仁王経』『金光明経』の三つの仏教経典である。「鎮護国家三部経」「鎮護国家の三部」とも。その呼び名の通り、国家の安泰を願って用いられた。
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このお話しはいろいろ広がりがあるようですが、一旦、国分寺絡みのところだけ引用します。つまり、本当に護国経典で鎮護国家をはかったのですね。個人的にはこういう場所で再びそうした祭祀が復活したらおもしろいなあ、と思ったりしています。どうもそうした祭祀も春分や秋分など暦の大切な時に行われたようですね。

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そういう背景知識がありますので、この国分尼寺跡地も有難く感慨深く歩き、多分、本堂があったところで、「南無妙法蓮華経一切諸神善神」と唱えます。まあ、国分寺だったら「南無金光明最勝王経一切諸神善神」でしょうか。遠く、天平時代に思いを馳せ、空を見上げます。今は桜の名所で3月になると花まつりが開催だとか。暖かくなったら花見もいいですね。

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続いて、歴史資料館へ。何と無料。

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何ですか?wご当地アニメキャラ?マロニエール?だとか。栃木県の県木がマロニエの木だからなんでしょうがw 地元でもしらんかったですw でもこれもヒットすれば、「君の名は」みたいな聖地になるかも。。。。w

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入ってみますと、なんと、重要文化財ばかり、これは凄いですね。こういう地元の歴史、民俗資料館、本当に侮れないっす。

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県内外の研究者や市町村の職員さん、ボランティアの方々の汗の結晶ですね。本当にありがたいです。このような歴史コンテンツみせてもらえるのは。何もない空間に歴史というコンテンツが3Dのように眼前に広がってくるではないですか。

圧倒の展示をみつつ、おおお!っと嬉しくなったのが例の金光明最勝王経!勿論、写本ですが。でも、有難いでしょう。顕教経典ながら、持つだけで呪力を表すというありがたいお経典です。今日はこれだけでGJ(GoodJob)です。

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その他、下野薬師寺の瓦の展示など。下野薬師寺は日本三大戒壇の一つだったようです。戒壇とは国家が僧侶を輩出する場所です。凄い場所であったようです。歴史的に有名な道鏡の左遷先になったりと。
いずれにしましても、この後、中央政権の移り変わり、真言宗、天台宗の興隆、更には武家の興隆による荘園の崩壊などにより、この戒壇は失われていきます。歴史はロマンでもあり侘しくもありますね。

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さて、こういう場所では必ずパンフレット的なものを買いませんと。勾玉作成キット?なるものも買い、次の場所へ。

勾玉できになったのか、久しぶりに小山のストーンショップへ。(参考 :石の館)さんです。

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水晶を始めとしてありとあらゆる石が売ってます。しかもリーズナブルな価格で。自宅にある1メートルぐらいのアメジストドーム(重量、60キロ、購入時7万程度、多分、市販価格、100万~200万ぐらいでしょうか)もこちらで買いました。(かなり昔に中華街で台湾のある道士さんが来た際に開光してもらいましたが。。。)

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この日は家族が腕輪がほしいというので、四柱推命の喜神を見立てて、木火土金水の五行を、石の色と謂われなどで判断し、また故事付けかもしれませんが、易の数字などにあわせて選んであげました。このように意味を込めるって大切かと。

さて、実は元々の行先は温泉でしたw いつもの栃木温泉、湯楽の里さんへ。

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雛飾り!もう、3月が近いですね。

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〆は地元の道頓堀です。お好み焼きですが具材が凄いw

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引き続きよろしくお願いいたします。

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お世話になっております。

先日もランチ散歩をしてみました。青山通りを更に進み、赤坂御用地沿い、カナダ大使館の隣にある(参考:高橋是清翁記念公園)です。結構歩きます。ここには是清公の自宅がありましたが、2.26事件で反乱した叛乱軍襲撃部隊に胸に6発の銃弾を撃たれ、暗殺されてしまった悲劇の場所でもあります。

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「第20代日本国総理大臣・高橋是清の邸宅跡であり、昭和13年(1938年)に高橋是清記念事業会が東京市に寄与し、昭和16年(1941年)に記念公園として開園したものである。」だ、そうです。

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(参考 Wiki様:高橋是清公)
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高橋 是清(たかはし これきよ、1854年9月19日〈嘉永7年閏7月27日〉 - 1936年〈昭和11年〉2月26日)は、日本の幕末の武士(仙台藩士)、明治、大正、昭和時代初期の官僚、政治家。立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣(在任 : 1921年〈大正10年〉11月13日 - 1922年〈大正11年〉6月12日)。栄典は大勲位子爵。幼名は和喜次(わきじ)。財政家として知られているため総理大臣としてよりも大蔵大臣としての評価の方が高い。愛称は「ダルマさん」。

1854年9月19日(嘉永7年閏7月27日)幕府御用絵師・川村庄右衛門(47歳)ときん(16歳)の子として、江戸芝中門前町(現在の東京都港区芝大門)に生まれた。きんの父は芝白金で代々魚屋を営んでいる三治郎という人で、家は豊かであったが、妻と離別していたので、きんは中門前町のおばのところへ預けられたこともあり、行儀見習いのために川村家へ奉公していた 。庄右衛門の妻は庄右衛門の手が付き身重になったきんに同情し、こっそり中門前町のおばの家へ帰して静養させ、ときどき見舞って世話をしたという。是清は生後まもなく仙台藩の足軽高橋覚治の養子になる。
その後、横浜のアメリカ人医師ヘボンの私塾であるヘボン塾(現・明治学院大学)にて学び、1867年(慶応3年)に藩命により、勝海舟の息子・小鹿と海外へ留学した。しかし、横浜に滞在していたアメリカ人の貿易商、ユージン・ヴァン・リードによって学費や渡航費を着服され、さらにホームステイ先である彼の両親に騙され年季奉公の契約書にサインし、オークランドのブラウン家に売られる。牧童や葡萄園で奴隷同然の生活を強いられ、いくつかの家を転々とわたり、時には抵抗してストライキを試みるなど苦労を重ねる。この間、英語の会話と読み書き能力を習得する。
1868年(明治元年)、帰国する。帰国後の1873年(明治6年)、サンフランシスコで知遇を得た森有礼に薦められて文部省に入省し、十等出仕となる。英語の教師もこなし、大学予備門で教える傍ら当時の進学予備校の数校で教壇に立ち、そのうち廃校寸前にあった共立学校(現・開成中学校・高等学校)の初代校長をも一時務めた。教え子には俳人の正岡子規やバルチック艦隊を撃滅した海軍中将・秋山真之がいる。その間、文部省、農商務省(現・経済産業省および農林水産省)の官僚としても活躍、1884年(明治17年)には農商務省の外局として設置された特許局の初代局長に就任し、日本の特許制度を整えた。1889年(明治22年)、官僚としてのキャリアを中断して赴いたペルーで銀鉱事業を行うが、すでに廃坑のため失敗。1892年(明治25年)、帰国した後に川田小一郎に声をかけられ、日本銀行に入行。
日露戦争 (1904 - 1905) が発生した際には日銀副総裁として、同行秘書役深井英五を伴い、戦費調達のために戦時外債の公募で同盟国の英国に向かった。
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石碑がありますね。

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なんと、「魚屋の息子⇒武家の養子⇒(ヘボン夫妻に学び)⇒(イギリス人シャンドのボーイ)⇒(アメリカ留学ホームステイ予定)⇒(騙されて)奴隷⇒文部省初代大臣、森有礼公の書生⇒大学入学⇒教員⇒文部省入省⇒経産省(農林水産省)⇒特許庁初代長官⇒日銀副総裁⇒日銀総裁」というとんでもないキャリアの方です。

(参考 日本銀行様:第7代総裁:高橋是清(たかはしこれきよ))

アメリカで騙されて渡航費やホームステイ費用などを奪われて奴隷契約されたというのが、成功した地点から振り返ってみれば笑えますが、もしかしたらそのまま死んでいたかもしれませんし、ぞっとしますね。

さて、公園です。庭園ですね。こんな町中なのに緑が多いです。

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川もあり。

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そして、是清公の像です。

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折角なので、四柱推命でも見てみましょう。

〇甲癸甲
〇午酉寅

日干、甲の方は高貴の気を放ち、高い信頼を得て、貴人と縁を持つ可能性があります。時はわかりませんが、これだけでもいい配合ですね。これを暗示しているのが、魚屋の息子だったのに、武家に養子に取り入れられたり、その後も出世を繰り返しますが、最も甲の力を発揮していただき、貴人と出合えた瞬間はロンドンのシティー街の出来事でしょう。それは(参考 Wiki様:ジェイコブ・ヘンリーシフ卿)との出会い。彼はクーンローブ商会(後のあの、破綻したリーマンブラザーズ)、銀行家です。

時は、日露戦争より数年前。日銀副総裁であった高橋是清公は、軍艦等を購入するための外債募集のためアメリカにわたりますが、どこも公債を受けてくれる銀行が見つかりません。そして万策尽き始める中、日英同盟が結ばれていたイギリスにわたり、諸銀行から500万ポンドの公債引き受けをなんとかとりつけます。バクー油田の利権を獲得していたイギリス・ロスチャイルドは中立の立場があり、融資できませんでした。第1回の戦時国債は1,000万ポンドが必要でした。あと半分足りない。

絶望の中、ある、晩餐会に是清公が呼ばれます。そこで出会ったのが、シフ卿であったのです。隣席したシフ卿より「日本兵の士気はどのくらい高いか」などとの質問をうけ、高橋はここぞとばかりに答えます。あくまで憶測ですが、アメリカ奴隷育ちで叩き抜かれた英語やガッツに加え、達磨さんと言われるネアカのジョークやウェットトークに加え、客観的に日本の状況やビジネストークをプレゼンしたに違いありません。日本が勝つ可能性はこの時点でゼロであり、ほとんどの投資家がNGだったのですから。またシフ卿もはじめから銀行家だった人でなく、ロスチャイルド家とドイツのゲットー(日本で言えば被差別部落地域のようなところ)育ちでアメリカに渡ったときは一文無しだったようですから。シフ卿は是清公と意気投合するところがあったのでしょう。勿論、後に語るところでは、ロシアでの反ユダヤ主義(ポグロム)に対する報復投資でもあり、「ロシア帝国に対してたちあがった日本は神の杖である」とのち回想録にあるようです。
翌朝、500万ポンド公債をシフ卿が引き受けることが伝えられ、1904年5月、日本は戦時国債を発行することができたとのことです。その後は皆さんもご存知の通り、日本はロシアに勝ちます。シフ卿は後に明治天皇より勲章をいただいています。もし日本が負けていたら?多分、共産主義、社会主義国で今の経済や国体があったのかかなり疑問ですね。寺社仏閣も全てレーニン、スターリン像に置き換えられていたかもしれません。

シフ卿の四柱推命はどうでしょうか。

〇壬癸丁
〇寅丑酉

日干、壬の方で、大胆な投資家を地でいってますね。大胆ながら相当な切れ者で一時の情緒で動く人ではないですね。正に、甲の是清公はシフ卿より壬(水)の印綬を頂く形となりました。

その後、是清公は日銀総裁として恐慌の際には財政発動し恐慌を乗り切っています。
最期は、財政再建で軍部への予算縮小を考えていたとして、2.26事件で狙われてしまい凶弾に倒れました。この頃から明治維新に参加した世代から大正の世代に世代交代がおきていたことも背景にあるのでしょうが、予算閣議で川島陸相に説教をしたとされる以下のお言葉に全てが凝縮されていると思います。

「国防とは守るに足るだけで良し。軍部は常識に欠けている。地方幼年学校の増設は無意味である。社会から隔離した特殊教育を幼年学校で行なうから片寄った人間を作るのだ。この人間が陸軍の幹部となり政治にまで口を出すのだから言語道断、国家の災いである」参考:「ぶらり十兵衛の歴史探訪 様/高橋是清 」より

是清公の死後、軍備費は2倍近くに触れあがって皆腹を空かしながら原爆2発もくらって敗戦です。戦費増やしたなら是清公の時のように勝ってみろよと言いたいですが、実際には死屍累々の死者と無残な敗北、そして極貧しか残りませんでした。断易でいうなら官鬼(敵)に剋された「兄弟(けいてい)」の極みですね。

この言葉の「常識」というのが重要ですね。貴族あがりでない平民あがりの苦労人でありながら、日銀総裁にまでなり、数々の国難、戦費調達から恐慌からを日本を救った彼だからこそ説教できるお話しです。歴史や伝統を重んじつつ、現在の最新情報を持ち、様々な国々の様々人の意見を受け入れられる中庸さが必要だと考えます。実は、2.26事件の首謀者達も一枚岩でなく、首謀者の若者も大陸の部隊に編制前に今やらないとできない的な、悩める学徒のような、目先だけの発想で、且つ、大義名分を後付けするようなところも今までの研究で分かっています。何れにしても、何も考えず暗殺などというのは論外でしょう。まさに、是清公が指摘したバランスを欠いた人物が増えてくると内ゲバがおこり、常識、中庸を持った人も排除され最後は自らや組織にも死をもたらす。学ばなくてはいけませんね。

さて、失礼ですが、寺社仏閣系ばかりだと辛気臭くなりますので、気分を変えてランチは(参考 :フーターズ)さん。

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かなり久しぶりです。ここはアメリカのチェーンらしいですが女性スタッフがエアロビ的な短パン姿で配膳などしてくれる店です。夜が基本なんでしょうが、ランチもやっているそうなので。別に男性向けとかでなく、カップルや会社のランチできていそうな男女グループもそちこちにいます。

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向こうの方で女性がダンスを始めてバースデイコールを上げていると思いきや、今度はダンスタイムになったり、今昼ですけど?w
一人できた私などには「お味あいました?」などと、声がけしてくれたり、ダンス後にはイエイ!と手をたたいてくれたり笑えますw

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如何にもアメリカっぽいメニューばかりです。女性がバーコードタグをもっており、1日1個スタンプを押せば、ランチが無料になったりするとか。(でもちゃんとシステムができていて、違う女性のタグや同日に他店で押しても無効だとかw)

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因みに断易の哲学ですと、食べ物は「妻財(さいざい)」でありますし、この若い女性たちはモロ「妻財」です。「妻財」は文字の如く、女性、妻、また財を意味します。これに対する貧乏神が上にあげた「兄弟(けいてい)」ですから。

是清公もお堅いだけの人物というわけではく、森有礼公の書生をしているとは芸者遊びを覚えてしまったり、教員をやめて芸者の家に転がり込んでしまったり、相場詐欺にひっかかったり、ペルーの鉱山で詐欺にあったり、なんとも人間臭い方だったようですね。お金の気、妻財の気はこういう柔らかさも必要だと思います。

いやー何かいい気分w 日銀総裁さんの気と美女の気、これは妻財全開でしょう?w いい気分になって職場に戻りました。職場に戻って、お弁当食べてくたびれて寝ていた先輩に声がけして、美女の写真(+動画)をみせたら「何でお前一人だけ?来週は俺も!」と言っていましたw

引き続きよろしくお願いいたします。

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