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お世話になっております。

昨日書けばよかったのですが、何気に今日は六十日に一回訪れる庚申(こうしん)の日です。それはともかく、9のつく日は北朝鮮では極数として重視しているらしく、案の定来ましたね。

(参考 Youtube様:★2017.11/29放送 NHKニュースおはよう日本 【速報】北朝鮮ミサイルはICBMか 高度4000キロ超 防衛省★)



科学主義の現在、占い師など全く関係ないように思われる方も多いかもしれませんが、実は政治、経済、国際紛争の陰にはこうした占いや呪術が使われているようなのです。ちょっと、タグが都市伝説に入っちゃうかもしれませんがw

一応、我らが奇門遁甲で見てみましょうか。使っている、いないはともかく、どんな立向を使っているのか。

(参考 YahooJapanニュース様:北朝鮮ミサイル、最高高度4500キロ ロフテッドか)

によりますと、「北朝鮮は29日午前3時17分ごろ、西部の平安南道(ピョンアンナムド)平城(ピョンソン)付近から日本海に向けて弾道ミサイル1発を発射」し、青森県の先のEEZ領域2,300キロの場所ということで大体このようなイメージでしょうか。

※図の作成には(参考:あちこち方位)様を活用させていただきました。

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つまり、東ですね。日本を龍とみれば、龍の首をはねるイメージでしょうか。続いて東方向の奇門遁甲のデータです。国家の行いをみるため、年盤、月盤、日盤、時盤のうち、天盤地盤と八門のみ並べてみます。

☆2017年11月29日3時17分(丁酉年辛亥月庚申日戊寅時)頃

○年盤:乙丙(開花陽光:吉)、死門(大凶)
○月盤:甲辛(棍棒玉砕:凶)、景門(吉)
○日盤:丁己(星堕零落:凶)、驚門(凶)
○時盤:辛壬(寒風刃月:凶)、景門(吉)

年盤が天盤地盤が一応吉ですが、死門で終わっているのが気になりますね。月、日、時の全ての天盤地盤が凶であり、内容も甲辛(棍棒玉砕)は、カッターで大木を切り落とす様、丁己(星堕零落)は己の浅い知恵に、己の濁情のみで堕落していく様、辛壬(寒風刃月)、寒空の三日月であり健気に身を徹するも孤立する様とまさに、今の北朝鮮を暗示する内容です。
また実践の戦争に使われると思われる、その瞬間の勝利の方位を見る「行軍三奇」で、日盤や時盤を拝見しても、時盤のみ勝ちを示していますが、幾らその時勝っても、後で不幸を呼び寄せてはたまりません。奇門遁甲でみれば、「一見華やかで勇猛だがあくまで見た目であり、孤立を深め、大木に小さな武器で歯向かい死の門を開きつつある」、と読めるような気がします。その他の占術を使っている可能性がありでしょうか。

また、陰陽道としてみれば、庚申の日は「かのえさる」の日で、干と支の五行が両方とも金行であり、殺気が極限まで高まる日でして、人の批判やましてや殺気に係ることはご法度なのによくやります。今日そのような行動をとると、殺気を呼び寄せることになるかもしれません。つまり、戦争の呼び水になる可能性が高いです。
またこの日は審判が下るというか、六十干支の前半で行った結果が出やすい日のようです。良いことがあれば、前半の過ごし方の評価であり、また次の六十干支もがんばっていただきたいですし、何もなかったのも上々です。もし悪いことがあれば、それは反省しましょうということですので、素直に胸に手を置いて、反省することで次の六十干支をよりよくできると思います。

昔はこの日は庚申待ちとして、村の人たちが集まって夜通し猿田彦神や青面金剛を祀ってお経を唱えたり、食事をしたりして寝ずに過ごしたようです。今日は体内の三尸という霊虫が天帝にその人の罪状を報告に天に上がる日でありまして、それを避けるために寝ずに過ごしたというのが「庚申待ち」でした。

(参考:三尸(さんし)がいると運勢や寿命まで削られるそうでw )

今日は怒りや不平など、特に言葉で出して言うことはご法度で、できるだけ善行を成す方向で平穏に過ごしたいですね。

引き続きよろしくお願いいたします。

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お世話になっております。

外の飲み屋で覚えた料理を晩酌でやりたくなるってありますよね。

そんな中の一つがアヒージョ。写真のはエビ、タコ、イカのアヒージョです。うまいし、作り方は簡単でして、外で飲むと、小さくて具が少ないのですが、少し大きな鍋で作るので結構腹につもります。

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○材料

・ブロッコリー 1個
・エリンギ 1,2個
・アスパラガス 1,2本
※基本はブロッコリーで後は適当ですw アスパラはパワフルな開運野菜だと聞いてます。
・エビ、イカ、タコなど(適当な量で。今回のは冷凍のピラフ用のシーフードミックスを使っています。)
・鷹の爪 2,3個
・ニンニク 1,2かけら
・オリーブオイル 100~200ml(鍋の大きさをみて、具が浸るぐらい)
・粗塩
・フランスパン 1本(食いたいだけ)

○作り方

1.手のひらぐらいのサイズの写真のような鍋に炒め用に若干、オリーブオイルを入れ、刻んだニンニク、鷹の爪を弱火で炒めます。
2.適当なサイズに切ったブロッコリー、アスパラ、エリンギを入れ炒めます。
3.エビ、イカ、タコを炒めます。
4.大体炒めてきたら、オリーブオイルを更に流し込み、具が埋まるぐらいにします。
 ※この辺で、フランスパンを切っておき焼き始めましょう。
5.煮込みながら粗塩で味を調整します。
6.ちょっと煮込んだら完成。

食べ方はパンに具や汁をつけて食べます。うまいっすよ。具は鶏肉などいろいろ対応可能ですし、クックパッドなどに事例がたくさんありますね。

今回は、ジントニックが飲みたくなって、やまやさんに行きましたら見慣れないジンがありまして、普段はタンカレーを買うのですが、こちらを買ってみました。グリノールズ ドライジンというジンで、250年前から製造されており現在は7人のマスターディスティラーがレシピを厳密管理し、ボトルにはユニオンジャックが裏から透ける独特なボトルになっているそうです。そうそう、トニックウォーターとライムを買い忘れないようにしないとw

うまい!爽やかな飲み口でした。

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ちょっと〆に積もるもの食いたいな!という時に、これはこれで西洋鍋みたいなものなので、汁が使えます。例えばアヒージョパスタにしましょう。初めからパスタように取り分けていただくか、少し具が残っていたら補強していただき、調味料で若干調整必要でしょうか。ピラフも結構うまいです。汁には栄養たっぷりなので利活用しないとw

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うむ、満足ですw

引き続きよろしくお願いいたします。

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お世話になっております。

昨日はやっと奇門遁甲の吉方が巡ってきておりまして、日盤は、北西は丙己(緑野普照:吉)、但し杜門(凶)w、北は(乾木列炎:大吉)、景門(吉)、東北は戊乙(巨岩梅花:吉)、但し死門(大凶)という状況で使えそうな盤が到来の模様。
続いて時盤ですが、北西なら辰時の甲甲、巳時なら北東の丁庚、北の丙戊あたり。私は午の刻の北、乙戊(鮮花名瓶:大吉)、景門(吉)を使います。

途中、先祖の墓陵の追加整備に参ります。前回やった高級?砂利を30キロ追加と、墓石の接合部で少し削れているところの補強など。故人の縁日も絡むので丁度良いかと。先祖供養、宗教云々抜きで必要みたいですね。もしも、ご無沙汰でしたら、まずは行ってみるというのも大切かと。

(参考:家系は繰り返す、家運上昇の秘訣とは? 参考図書「家系は語る―先祖の願いを子孫につなぐ女性の役割」 )

さてさて、墓陵に到着し砂利を展開。砂利も種類があり、やばい砂利でないか、良く選んで展開しております。(小野先生の呪術セミナー内容ですねw)墓陵入り口より奥が風水でいう座山に当たりますので少し高く傾斜をつけて、気持ち手前になだらかに低くなるように敷き詰めます。これも風水の 巒頭(らんとう)、形、形状での考え方(命卜相の相学)です。除草剤などは、墓陵内の土地が枯れるためまきません。とはいっても、墓陵は大概、山に近いところにあり、すぐに雑草の種子が飛んできて雑草が生えますので、マメにお参りに来て手入れすること、砂利を敷きしめ雑草が根付かないようにすることも大切かと思います。接合部の補強なども行い。ばっちり!心なしか、日が急に照りはじめ、暑くなります。凄い熱を感じます。香を焚き、更に、阿闍梨様から伝授を受けた勤行次第を家族で唱えます。清々しさと熱さが胸辺りに発生します。仏さんも喜ばれているでしょう。

さて、次は、矢板方面に向かいます。途中の山も色づいてすっかり秋も深まりましたね。

前回、笠間の愛宕山、愛宕神社に伺った際、宮司さんに「笠間は宇都宮氏が攻めてきて統治した」という話が頭の片隅にありました。

(参考:先日の愛宕神社、金毘羅神社のご縁か、岩間(笠間)愛宕山で将軍地蔵、仙境異聞に出会う)

また、先日の栃木県立博物館様の企画展「中世 宇都宮氏 頼朝 尊氏 秀吉 を支えた名族」展で矢板の城、川崎城との関りを見ていたので、こっちの資料館ってないのかな?と気になっておりました。

(参考:「中世宇都宮氏 頼朝・尊氏・秀吉を支えた名族」)

ほどなく(参考:矢板市立郷土資料館)様に到着です。元々、矢板市片岡地内にあったものを旧上伊佐野小学校(平成21年3月に泉小学校に統合)の校舎を活用し、平成24年4月にリニューアルオープンしたそうです。

中々しっかりした建物です。廃校といっても、ちょっと前ですしね。

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企画展は写真展をされていました。写真を堪能させていただいた後は、常設展示へ。小学校の廊下、何か懐かしいですね。

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結構な展示が並びます。

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市の発掘調査など、資料も豊富にあるようです。

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矢板市のご当地キャラクター「ともなりくん」の元ネタである(参考 Wiki様:塩谷朝業(しおのやともなり))公のお話しが興味深かったです。

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塩谷 朝業(しおのや ともなり)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・御家人・歌人。宇都宮成綱の子。母は平忠正の長子の新院蔵人長盛(新院は崇徳天皇の事)の娘。実父と養父の名を取って朝業と名乗る。下野宇都宮氏の生まれだが、当代の清和源氏流塩谷氏当主朝義に子が無かったことから、朝義の娘婿となり塩谷氏の名跡を継ぐ。系図では、子に塩谷親朝、笠間時朝、26歳で出家して親鸞の弟子となった塩谷朝貞(賢快・肥前法師)、三人の男子の間に一人ずつ娘(第二子、第四子)がいる。
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代々、源氏に仕え、剣術・弓・馬術に優れ、宇都宮花壇を創設される程、教養も高かった方のようですが、終生、信心深い方だったようですね。特に改めてびっくりしたのが、息子さんが(参考 Wiki様:笠間時朝)公だったということですね。

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塩谷朝業の次男として生まれる。宇都宮頼綱の養子となり常陸国笠間に入って笠間氏を名乗り、16歳の頃より約16年の歳月をかけて、嘉禎元年(1235年)、佐白山に笠間城を築いて居城とする。天福元年(1233年)頃、鎌倉幕府に出仕し始めると頭角を現し、将軍の公式行事に二十数回も出ており(吾妻鏡)、仁治元年(1240年)には検非違使に任命され、仁治3年(1242年)の後嵯峨天皇即位の大嘗会には、供奉役人として上京奉仕している。さらに、父朝業が没した宝治2年(1248年)12月17日には、本家である兄の塩谷親朝を上回る従五位上(塩谷氏は従五位下)長門守という官位官職に任じられている。時朝は、笠間十八代の基礎を作り上げ、文永2年(1265年)2月9日、62歳で没する。戒名は、晏翁海公大禅安門。

○人物像
時朝は、身の丈が当時としては高く178cmもあり、その恵まれた体格から武勇に優れていたが、文化人としても名が高く、宇都宮新和歌集には、頼綱(蓮生)に次ぐ51首もの歌が収録されており、時朝の詩集である『前長門守時朝入京田舎打聞集』の写本が現在、宮内庁書陵部に所蔵されている。

○文化的業績
時朝は、建長5年(1253年)7月と文永元年(1264年)8月10日に京都蓮華王院(三十三間堂)に千手観音(120号像・169号像)を寄進している。1,001体ある三十三間堂の千手観音立像の中で、鎌倉時代のもので寄進者が確実に判明しているのは時朝が寄進したこの2体だけである。宝治元年(1247年)4月に石寺弥勒堂弥勒菩薩立像、建長4年(1252年)7月[5]には楞厳寺千手観音立像、翌建長5年(1253年)7月には岩谷寺薬師如来立像が地元笠間のそれぞれの寺に寄進され、現在、それぞれ国の重要文化財に指定されている。建長7年(1255年)11月には、鹿島神宮に唐本一切経を奉納寄進し、日光輪王寺の旧三仏堂の日光三社権現像の内、千手観音像を寄進した。また、山形県寒河江市の慈恩寺には弘長3年(1263年)常陸国小山寺(富谷観音)旦那笠間時朝銘のある木造大日如来坐像が現存する。自身は出家得度の道を選ばなかったが、時朝の特に仏教における文化的業績は大きかった。
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うお!息子さんの時朝公も更に凄いですね。文武両道に加え、三十三間堂の千手観音立像の中で、鎌倉時代のもので寄進者が確実に判明しているのは時朝公が寄進したこの2体だけだとか、日光山の三仏堂の千手観音を寄与とは凄い。なるほど!愛宕神社の宮司様が仰ったことはこれでしたか!こうした背景もあり矢板市と笠間市が姉妹都市になっていたことも今更ですが知ったのでした。

中々充実でした。やはり郷土資料館、侮りがたしw

続いて、結構な山道を抜け(参考 Wiki様:寺山観音寺)様へ。何となく、先ほど、祈った仏さん達と共にを観音様にお連れしたいなあと思っておりまして。。。。

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寺山観音寺(てらやまかんのんじ)は、栃木県矢板市長井の寺山地区にある真言宗智山派の寺院。高原山の中腹標高450m前後の比較的高い場所に位置する。山号は与楽山、院号は大悲心院。詳名は与楽山 大悲心院 観音寺と言い、寺山観音寺は通称である。本尊は千手観世音菩薩(国の重要文化財)。
寺伝によれば、高原山(最高峰は釈迦岳、1,795m)の一峰・剣ヶ峰(1,540m)の頂上近くに724年 (神亀元年)、 聖武天皇の勅願により行基が建てた法楽寺が始まりであるという。その後法楽寺は803年(延暦22年)雷火により焼失するが、この際、観音堂は焼け残り本尊は安泰であったという。806年(大同元年)、平城天皇の勅願により、徳一が本尊を現在の地に移し、七堂伽藍を建立し現在の寺山観音寺に至るという。本尊は秘仏であり、60年に1回、甲子年の旧暦9月10日より7日間のみ開帳される。
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銀杏と共に風情がありますね。

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お線香を焚き、吉方なので、煙を体に浴びせていきます。続いて、護摩の願い薪があるので、先祖供養と書き、本殿で軽く拝みます。

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拝んでいると猫が寄ってきました。移動すると適度な距離でついてくる、人懐っこい猫です。

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百観音のお砂場があるので、こちらも靴を脱いでいただきます。これで百観音で拝んだ功徳があるとか。

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銀杏が見事ですね。

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よく見ると、銀杏の前に「幽霊の腰掛け石」なるものが。お話によると、昔の人は亡くなると幽霊になってお寺の観音様の中に入るといわれていたそうです。この岩に座って身なりを整え、心沈めてから観音様の中に入っていったというお話しがあるそうです。おお!これは墓陵整備していた時のイメージそのものですね。これはありがたや、です。観音様、仏さん達よろしくです。

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これで仏さん達も観音様に導かれるでしょうw 時が止まっているような空間です。

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本殿右側を見ますと出羽三山の石柱があり、羽黒山神社の話もありますから、関係あるんだろうなとは思っておりました。そこに丁度、すれ違った掃除をしていたご老人が急に話しかけてきました。ちょっとびっくりですが。

ご老人「西の伊勢参り、東の奥参りといいまして、古くより、西の伊勢神宮に詣でることを「西の伊勢参り」、東の出羽三山に詣でることを「東の奥参り」と称し、双方を詣でることは重要な人生儀礼のひとつとされておりました。このお寺は真北にある出羽三山のお力を中継して宇都宮に伝えるところなのです。風水的にみてもです」

何か私が何となく考えていたことを言い出すので面白かったですが、こういうスポットには天魔外道といっていろんな方やものwがいますからね。にこやかに相手をしながら淡々と。

(参考:古地図が物語る山川の真の形状と歴史的拠点の一致)

ご老人「更にこのお寺の七不思議知っておられますか?」

私「いえ、全然です」(といいつつ、実は私、この寺は初めてではなく、甲子日に大黒天祈祷をお願いできるので、2,3回お願いしたことはありました)

ご老人「当山二七フシギ(不思議)アリ。第一霊湯、第二牛石、第三白土、第四赤根土、第五青ノリ、第六盗賊不入、第七バン字水夏冬絶エズ、是ハ寺山七不思議ト申シツタワルナリ。 とありまして、ここから湧き出る霊水は万病に効くそうで、その水の温泉が近くの寺山鉱泉なんです。お寺も重要文化財が多く、本殿の千手観音や二十八部衆も素晴らしいですよ。このあたりの自然は温泉も含め素晴らしく、歴史も深い場所なので是非、知らない方に紹介してくださいね。」

私「了解ですw まだ寺山鉱泉行ったことがなくて。。。今回も城の湯予定ですしw 本殿は開くことがありますか?」

ご老人「正月三が日はあきますよ。秘仏は60年毎の甲子の年に一回なので、かなり先になりますが」

お寺の方かと思ったら、付近の住人の方でこの辺の掃除や植物の手入れなど自発的にされている方のようでした。軽く歓談しお別れしました。

帰り道沿いの道は、リンゴの産地が広がっています。

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こちらで買っていきました。試食もいただいたら瑞々しくうまかったです。

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〆は(参考:矢板市 城の湯 やすらぎの里)さんで、熱めの風呂で邪気を抜きつつ、ヘリで寝ておりました。ちょっと入って熱くなったら、ヘリで寝る、の繰り返し。正に極楽ですw

本当の〆は帰宅後で軽く晩酌でした。

引き続きよろしくお願いいたします。

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お世話になっております。

本日は、小野十傳先生『手相セミナー C』に参加のため都内入りです。

(参考:小野十傳先生『手相セミナー A』に参加しました! )
(参考:小野十傳先生『手相セミナーB』に参加でした)

方位は。。。。微妙ですねw(日盤や南北良しですが、時盤は適当。。。。)ちょっと、地震雲っぽいですね。

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宇都宮駅の新幹線ホーム、東京寄りの端の場所から富士山が見えます。小さいので撮影はしませんでしたが。乗った車両は一号車で、茨城県側を見ますと、筑波山や加波山の麓が霧にかかり美しいです。あの辺りは、先日遊びに行った、仙境異聞、神仙道の世界、天狗小僧寅吉さんの修行場ですね。僕的には明治の新興宗教ムーブメントより奈良時代からの勝軍地蔵の神仏習合の信仰のが興味深かったですがw

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(参考:先日の愛宕神社、金毘羅神社のご縁か、岩間(笠間)愛宕山で将軍地蔵、仙境異聞に出会う )

さて、ほどなく神田到着です。いつものエッサムビルです。

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いつもの1階ホールで確認です。銀行のFPセミナーなど結構なセミナー開催されるほど、居住性良し!の会議室です。

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小野先生登場!だんだんと受講生の方々が集まってきています。座席は今回も50名ですか。。。。

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今回のセミナーは、手相セミナー四部作の3回目、C。3つ並べると壮観です。今日のテーマは、頭脳線、運命線でした。これは結構、鑑定にすぐ使えますね。なかなか書籍ではこうしたポイントは書けないと思います。

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お弁当はいつもの奴です。先生のアシスタントの女性の方々がご配慮いただいているのでヘルシー系でおいしいですよ。

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15時のおやつも完備。流石です。結構、この時間、10時から耐久ですので、有難いです。

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大分、手相鑑定が可能な感じになってきました。充実ですね。次回で完了となります。今日は、予定があり、残念ながら懇親会は出られず宇都宮にトンボ帰りしました。でも、充実のセミナーでした。

引き続きよろしくお願いいたします。

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お世話になっております。

昨夜は宇都宮へ帰還。早速、ビールを煽ります。

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帰宅後は晩酌。ポテト大好きです。

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少しは野菜も。トマトは血を作るという話を聞いたことがあり、健康に万能野菜ですね。(今は亡くなられた日光在住の女性霊能者の方からw)

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さて、いきなりスピ的なタイトルですが、この話題は、実は近頃、注目している国際関係アナリストの方が身近におきた出来事のお話しをメルマガでだしていて、反響があったお話しです。

この国際関係アナリストとは、北野 幸伯という方です。特に、中国の謀略を全て一般の方に分かりやすく説明されており、納得するところ大でした。メルマガの名前は「ロシア政治経済ジャーナル」というものです。

(参考 まぐまぐ 様:ロシア政治経済ジャーナル)

数年前、民主党の出現と同時に、中国は中国、ロシア、韓国による「反日統一共同戦線」を築き、更にはアメリカも抱き込みを開始し、日本はまんまとかかってしまい、慰安婦問題や靖国問題でオバマ大統領からも嫌われ、世界的に孤立していったのでした。その戦略、戦術は見事で、正に孫子の兵法を地でいってます。自国には日本企業の投資を落とさせながら、日本は歴史修正主義者(戦前の思想に戻ろうとしている)とイメージ戦略を展開し、日本国内の土地を買い占め、沖縄の左翼を育て、尖閣を威圧し、じわじわと日本を追いつめて行っていたのでした。更に民主党は小沢一郎氏の「私は中国人民軍の野戦司令官である」(つまり、私は日本で野戦中であり、いずれ中国様に献上しますということを案に言っている方)というような親中の左翼系の人材が大いにも関わらず、尖閣問題で中国とも直接的に最悪の関係になり、中国にいる日本企業は焼け撃ちなど大変な目にありました。表で日本にこのような威圧をしておきながら内部にはしっかり、浸食させていくやり方は見事というしかありません。

これは小説ではありません。

日本人にそのような国際謀略など思いもよらず、まともな外交をできる人がいなかった。今それをやっているのが、安倍首相だというのです。

こちらをみればより理解できます。

(参考:安倍総理続投が日本の国益、辞めれば習近平が大喜びする理由)

ちょっと、その内容をかいつまんでみます。

全ての事象は因果関係。まず、ロシアによるクリミア併合。これが発端となりアメリカは何かの呪縛から目が覚めていきます。次は、AIIB事件。中国の開発銀行という見かけですが、元の国際通貨化を含め、ドルの転覆を狙ったものでした。なんと、中国の懐柔が進んでいたのか、イギリスなどの同盟国も含めて多くの国が参加。更に、中国の東シナ海の侵略。勝手にフィリピン海域に埋め立てて島を作って要塞を構築。更には軍拡を進め、韓国の内政に影響をあたえ、軍の閲覧式に韓国の大統領が参加する始末。この時、日本は一人アメリカと共にあったのでした。ようやく騙されていたことに目が覚めたオバマは、手を打ち始めたのですが、そこをすかさず安倍首相はアメリカのとの関係修復をしていって、現在の状況まで持ち上げて行ったのでした。
不思議なことにその後中国は、上海株大暴落、今や土地バブル崩壊直前の状態になっています。軍拡主義はヨーロッパ、正確にいえばグローバリズムを進めていた欧米の支配者にも嫌われていたのでした。

とまあ、このような世界の状況を正しく、分かりやすく、しかも日本人の平安をもたらすにはどうしたらいいのか?の観点で語っている方だなあ、と思っておりました。

そして、本題です。(「ロシア政治経済ジャーナル No.1648 「▼北野家を襲った不幸」より、一部引用致します)

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では、本題。

今回は、世界情勢にも、日本の自立にも、リアリズムにも関係ない話です。皆さん、怒ったり、憎んだりすることはありますか?私は、それほどありません。そうなのですが、先日かなり怒りを感じ、相手を憎らしいと思ったことがありました。起きたことを妻に話したら、「それはひどい!」ということで、彼女も同調した。

問題は、それからです。

その日、妻と6歳9か月娘は、自転車でお絵かき教室にでかけました。(二人乗り)私は、2歳9か月の息子と留守番で、「のび太の恐竜」を見はじめます。事件は、お絵描き教室の帰り道で起こりました。横断歩道の信号が青になった。娘は、自転車を降り、走って渡りはじめた。すると、歩行者用の信号は「青」であるにも関わらず、バスが
信号無視して横断歩道を横切ったのです。

(居眠り運転?)

妻の話によると、「あと一歩で、ひかれて死ぬところだった」そうです。そのショックでしょうか。妻は、その直後、自転車で転倒して足に結構なけがをしました。妻と娘が戻ってきた。私は、彼女たちから起こったことを聞いて、驚きました。その間、2歳9か月の息子は、部屋で遊んでいた。ところが、間もなく彼が大泣きしはじめました。
何が起こったか見に行くと、どこかで接着剤を見つけ、なぜかそれを手足にぬっているのです。その後、お風呂に連れていって洗い流しましたが、彼はずっと泣きつづけていました。

▼なぜ?

この話、「いや~、1日で不幸が重なりましたね!」と「偶然」で片づけることもできます。しかし、夜中に背筋を伸ばして座り、目をつぶって考えてみると、とても偶然には思えませんでした。私の良心は、ささやきます。

「おまえの怒りが不幸の原因 、おまえの憎しみが不幸の原因」これ、もちろん証明できませんし、なんら証拠を示すことはできません。ただ、そう感じたのです。かなりはっきりと。

▼怒りと憎しみをベースにする国

私は国際関係アナリストなので、すぐに「国レベルではどうだろう?」と自問します。為政者が「怒りと憎しみ」を煽っている国。すぐに思い浮かぶのは、韓国ですね。中国の反日統一共同戦線戦略に乗った韓国は、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどで、熱心に「慰安婦像設置運動」を展開しています。

(●「反日統一共同戦線」必読証拠↓
https://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2012_11_15/94728921/

そして、朴前大統領は、「告げ口外交」を展開し、日本への憎悪をひろげるために、熱心に働きました。その朴さんは、今刑務所にいます。今韓国は、アメリカに嫌われ、中国を怒らせ、日本国民にも嫌われています。一方、攻撃の対象になっている日本は、アメリカと最良の関係。インド、欧州、ロシアなどと良好な関係。北朝鮮以外とは概ねいい関係で、最近では中国とも和解しつつある。はたして、韓国の「怒りと憎しみ政策」は、自国にいい結果をもたらしたのでしょうか?誰でもわかりますね。

▼個人も国も「ダークサイド」に転落しないよう気をつけよう

さて、良心との対話で反省した私。私を怒らせた相手のために、祈ることにしました。

「〇〇が、健康で幸せで豊かでありますように!」はじめは、嫌々です。しかし、「怒りや憎しみは、まず自分と家族を破壊する」と思うのでやっている。これを繰り返しているうちに、なんとなく怒りや憎しみもうすらいできました。そして、不幸なできごとは、その後我が家で起きていません。偶然かもしれませんが。(イエス・キリストは、「汝の敵のために祈れ」といったそうです。これ、「きれいごと」な「道徳論」思えますね。しかし、実をいうと、「敵を憎んでいたら、自分が破壊されますよ」「敵のために祈った方が、お得ですよ」ということなのかもしれません。キリスト教徒の方に、「おい!それ違うだろ!」と怒られるかもしれませんが・・・。)そういえば、1カ月後にまたスターウォーズがはじまります。ジェダイの騎士は、「怒りや憎しみは、ダークサイドに転落する原因」として、強く戒めています。中村天風先生も、「怒らず、恐れず、悲しまず」をモットーにされていました。私も今回、「ダークサイドの恐怖」を味わった気がするので、がんばって自制しようと思います。そして、為政者は、「他国や他民族への憎悪を煽らないよう」注意すべきですね。それは、「平和ボケ」とは、また違うレベルの話です。なんだかとりとめのない話でした。


そのうち世界情勢のお話もしますので、楽しみにしていてください。
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事実を基に因果関係を科学や経済理論などで固定的に見ようとせず、ある意味の事実主義、心の問題すら起きた時系列事実から、因果関係を冷静にみようとする点が、私にはピンときるものがある気がします。

どうでしょう?この「怒りと憎しみは、自分を滅ぼす??」というお話。

実は私も、先日の「戦格」の影響か、仕事場でムカっとすることが起きておりましたが、「これも事前に予知できているし、根付け外しもやっている。そもそも怒りに囚われない」というスタンスでおりました。

(参考:ボジョレーヌーボー2017の旺気と四つ葉のクローバーで幸運の連鎖(シンクロニシティ)を掴め! )

お陰様で心が輝いているような清々しい感じが続いていました。大丈夫かどうかのチェックポイントは、自分の中に清々しい感じがあるか?です。妙な心のざわめきは目の前に見える現実的な事柄だけに囚われていると、あらぬ不幸に足をすくわれます。

※清々しさを画像でいったらこんな感じでしょうかw

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そんな生活をしていたら、不思議なことに、仕事場での不穏な空気は全て消えていき、むしろ向こうからこちらに配慮するような流れになっていったのです。(細かく書けないのですが、普通に言ったら神懸っていると思います)

お昼休みにはうまく近場の神社にいって、感謝をするばかりでした。これも基本的な開運法として使えますね。

引き続きよろしくお願いいたします。

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お世話になっております。

久し振りに進撃の巨人の動画などを見てしまいました。

(参考 youtube様:Shingeki No Kyojin - Una nueva esperanza (Sub Español) ''HD'')



エレンの死(実は生きているのですが)に生きる意味を失い、でもぎりぎりの刹那で体が生きようとあがき続ける。生きる意味なんてもうどこにもないのに、何が私を。。。。。エレンの声が聞こえる。

「戦うんだよ!戦え!戦え!」

ミカサは絶望を超え、「ごめんなさい、エレン。私は二度と諦めない。死んでしまったらもうあなたを思い出すこともできない。だから何としてでも勝つ。何としてでも生きる!」と折れた剣を持ち返したのでした。

戦え!というエレンの声。何故か私は徳川家康公の人生を思い出してしまいましたw

現在の東京、江戸を作られた徳川家康公はまさに波乱の人生でした。絶望の狭間を潜り抜ける人生と言っても過言ではないでしょう。その御旗、「厭離穢土欣求浄土」は、「この娑婆世界を「穢れた国土」(穢国)として、それを厭い離れるという意味であり、阿弥陀如来の極楽世界は清浄な国土であるから、そこへの往生を切望するという意味」だそうです。

永禄3年5月19日(1560年6月12日)、三河遠江駿河の三か国を支配した今川義元公は、4万とも5万とも言われる大軍で京都へ上洛を開始します。その今川軍団の中に、人質として育てられ義元公の娘と結婚させられていた家康公がいました。軍団の先鋒で活躍しておりましたが、そんな中、神懸った織田信長公によって田楽桶狭間で打ち取られてしまったのです。今まで信じてきた義理の父でもある義元と大軍団の瓦解。戦場は一瞬にして風が変わり、今川軍は総崩れになります。

絶望の中、松平元康(後の徳川家康)は、桶狭間の戦いで今川義元討死の後、菩提寺である三河国大樹寺へと逃げ隠れます。前途を悲観した元康は松平家の墓前で自害を試みるが、その時13代住職の登誉が「厭離穢土欣求浄土」と説き、切腹を思いとどまらせたと言われます。すなわち、戦国の世は、誰もが自己の欲望のために戦いをしているから、国土が穢れきっている。その穢土を厭い離れ、永遠に平和な浄土をねがい求めるならば、必ず仏の加護を得て事を成すとの意味だそうです。

この後、死を思いとどまった家康公は、運命の岡崎城へと向かいます。少年時代に織田家に人質であったよしみもあり、すぐに使者を出し同盟を図ったのです。こうして、戦国大名への独立の機会を掴んだのでした。

次に来た、絶中生の瞬間は、桶狭間の戦い後、美濃、現在の岐阜県に勢力を伸ばし、7万の大軍で京都に足利義明を奉じて上洛。上洛の宣告に応じなかった越前の朝倉義景を攻めるために、越前に向かいますが、同盟者の浅井が裏切ります。後方を抑えられ、逃げ道無し。この状況下で、木下藤吉郎後の秀吉公と共に殿軍(撤退時の最後尾を抑える最悪のポジション)とともに、徳川軍は凌いだのでした。

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次は、あの戦国最強といわれた武田信玄公の上洛軍との戦い。三方ヶ原の戦いで全滅しますが、信玄公の病死で九死に一生を得ます。

次は、信長公が天下統一寸前での本能寺の変。饗応にきていた家康公は明智軍に追われ、伊賀を超えてこれも九死に一生を得ます。

次は、秀吉公。明智を倒して信長公に変わって天下を抑え、今度は家康公に牙をむきます。小牧長久手の戦いは圧倒的な戦力で秀吉公がきますが、たくさんの砦を設けてこれを撃退します。この時幸運にも大地震が遅い、秀吉公は和議を結びます。

次は、小田原攻めの後の論功行賞で与えられた土地が、絶望の大地、江戸に移れとの秀吉公からの宣告。ここでも家康公は水だらけの泥だらけの大地を開墾し、坂東太郎と言われた利根川の流れを変え(利根川東遷事業)、ついには極楽の土地に変えてしまいます。つまり、水が引いたため肥沃な大地が完成し、日本最大の石高を手にするのです。現代の東京都市研究家も、家康公がこの土地の基本を作ってくれたことを高く評価しています。

最期は、関ケ原の戦いでしょう。これも、秀忠公率いる本隊3万が間に合わなかったのに勝ってしまいます。

どうでしょう?皆さんの絶望は家康公の絶望より酷いでしょうか?多分、これほど酷い絶望ってのは中々ないと思います。つまり、我々も絶望の刹那、生きて戦う刹那を楽しんでも良いのではないかと思ったりします。

先日の座間の自殺者志願の方々を殺戮した事件は最強の殺人者を恐怖しつつも、現在日本の絶望的な闇をさらけ出しているようにも思えます。今、心が弱って、誰もいなくて、絶望している人がいたら、その人に、伝えたいです。

「戦え!戦うんだよ!戦え!」と。

ぎりぎりの刹那でも、あがき、立ち上がることができる。その刹那、絶の中に生きる道があるように思えます。
ふと、一瞬気付いてほしいです。生きようとしている自分の肉体や今生きていることを。

運命学の十二運、「 長生、沐浴、冠帯、臨官(建禄)、帝旺、衰、病、死、墓、絶、胎、養」でいえば、絶の中に、新たな生命ならぬ、あらたな運が生まれ(胎)いるのです。

きっと、あなたも絶中生を得て、絶望から反転する人生を掴むことができるでしょう。

引き続きよろしくお願いいたします。

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お世話になっております。

昨日は、奇門遁甲の日盤の北方は、丙丁(麗陽明知:吉)、生門(吉)。時盤は、壬辛(陶洗珠玉:大吉)、景門(吉)で、珍しく普通の宇都宮への往来でとれそうです。今週の初めなんか東京に向かう際は、日盤の南方は庚庚(戦格:最大凶)でうわーやめてくれよ、でした。
でも不思議なことに火曜、水曜の神楽坂事務所からの勤務場所の時盤で戦格を無力化できる方位を出勤しながら取れる予定だったので、少しホッ。あとはこのエネルギーに惑わされないように、自重しつつ、必殺・根付け外しも施しました。最終兵器は小野先生の避凶ペンダントというものがありまして、こいつはこの恐怖の対戦格の為に作られた決戦兵器なのです。勿論、これを最後の砦としております。

帰還です。宇都宮の夜景が見えてきました。

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迎えを待ちながら駅のバーで軽くビールです。ハーフ&ハーフですね。こういうエールとか薄っぽいやつ好きです。

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ほどなく迎えと合流し、
「ボージョレヌードーが出ているらしい」
「ヌードじゃなくて、ヌーボーでしょうが」
「この季節、皆ヌードになったら面白い」などと、親父ギャクに冷笑気味ですが、「ボージョレみたいな初物の酒には気が宿り開運によいらしいぜ」 「じゃ、買って行こう!」となりまして、酒の種類は多い、やまやさんに立ち寄ります。

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「ジャン シャルル ポヴォ ボージョレ ヴィラージュ ヌーヴォー」?これキーボードで打つのも大変だなw
「トロフォ リヨン ボージョレヌーヴォー コンクール 2015年度最高金賞 受賞」とあり、全くよくわかりませんが、これにしましょうか。

確かに、フレッシュでうまい!これは確かに開運しそうですね。

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酒ばっかり飲んでないで、ご依頼をいただいた鑑定書の作成も進めております。元命式の図、大運(10年運)毎の想定現象に加え、流年運(一年運)毎にも作成をしていきます。我ながらこいつはすげえw ハンドメークで相当なボリュームです。コツコツと作り上げていきます。

(参考:ついに完成!「開運総合コンサルティング 人生戦略報告書 Ver.2.0」 )

こういうことやっていると何故か不思議な偶然の同期、シンクロニシティになったりしますが、テレビでは、歴史ヒストリアで、京都国立博物館の国宝展についてやっていました。

(参考 youtube様:歴史秘話ヒストリア 2017年11月17日 国宝 美と日本人の物語)




時は戦国時代末期、関ヶ原の戦いの数日前。(参考 Wiki様:細川幽斎)
の籠城戦に起きた日本の国宝にまつわるドラマが紹介されていました。

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慶長5年(1600年)6月、忠興が家康の会津征伐に丹後から細川家の軍勢を引きつれて参加したため、幽斎は三男の細川幸隆と共に500に満たない手勢で丹後田辺城を守る。7月、石田三成らが家康討伐の兵を挙げ、大坂にあった忠興の夫人ガラシャは包囲された屋敷に火を放って自害した。田辺城は小野木重勝・前田茂勝らが率いる1万5,000人の大軍に包囲されたが、幽斎が指揮する籠城勢の抵抗は激しく、攻囲軍の中には幽斎の歌道の弟子も多く戦闘意欲に乏しかったこともあり、長期戦となった(田辺城の戦い)。幽斎の弟子の一人だった八条宮智仁親王は7月と8月の2度にわたって講和を働きかけたが、幽斎はこれを謝絶して籠城戦を継続。使者を通じて『古今集証明状』を八条宮に贈り、『源氏抄』と『二十一代和歌集』を朝廷に献上した。ついに八条宮が兄・後陽成天皇に奏請したことにより三条西実条・中院通勝・烏丸光広が勅使として田辺城に下され、関ヶ原の戦いの2日前の9月13日、勅命による講和が結ばれた。幽斎は2ヶ月に及ぶ籠城戦を終えて9月18日に城を明け渡し、敵将である前田茂勝の丹波亀山城に入った。
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この戦いで数か月、15,000の兵を差し止めたことも関ケ原東軍勝利の遠因の一つと言われるぐらいの働きでしたが、何より、この古今和歌集には凄い力があり、実は、ロイ(口伝による読み方、奥義)があり、それで読むと全く別物になるというものらしいです。何気に凄いことテレビでいってますねw で、この細川幽斎公は幼い皇子に変わって繋ぎの役目で奥義を継承しており、天皇家としては是非とも国家のため、法の断絶を防ぐため、命を助けなくてはいけなかったという話です。この他にもお不動さんの臍に密教の阿闍梨による開眼儀式の痕跡があったことが発見されるなど、歴史的価値、信仰と美術は表裏一体であり、明治の神道分離、廃仏毀釈、修験道禁止などの愚かな行いで喜びほくそ笑んだのは、西洋の金持ち達で、彼らはこれらが普遍的な歴史価値があるものだと見抜いているので、全て回収、買い上げていき、現在はほとんどが西洋の美術館にあるという状況です。(先日の勝軍地蔵の画像もフランスの美術館でしたね)流石に、明治も30年を過ぎてから国宝を守れという流れになったようですが、30年でどれだけ流出したのか。。。。

さて、良い連鎖が続くのか、タイミングがいいことに以前、破邪系の呪符をご提供させていただいたお客様が大阪、京都に行っており、京都、嵯峨野や上加茂神社のお写真をいただいておりました。神社では良い気をいただいたようでした。

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その後、良い偶然が続いているらしく、シンクロニシティみたいですが、また、これもラッキー写真らしいです。地元では有名らしいですが、元々、三つ葉マークのタクシー会社で、このレアな四つ葉のタクシーを見れたらしいです。(ブログ展開のご了承済みでございまする)秋の京都いいですよね。

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さあ、皆様も、ボジョレーヌーボーや四つ葉のタクシーの有難い画像をみて、幸運の連鎖を開始していきましょう。

引き続きよろしくお願いいたします。

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お世話になっております。

先週末の日曜日は、本当に奇門遁甲の盤が閉鎖状態で、唯一開いていたのが北東の日盤。しかし、時盤は全部ダメw

本当はこういう時に如何に不動でいるか、動かざること山の如しが良いのでしょうが、でも、こういう時は根付けしないようにして、また、できる限り、その日の主宰盤である日盤の凶方は避ける、あと、その他、気に関して諸注意がありまして、そうすることで凶を抑えることが可能です。

北東には鬼怒川のグリーンパークという川沿いの公園があります。いつ来ても気持ちが良い場所です。

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ボート乗り場、水上アスレチックやレンタル自転車、レンタルローラースケートなどいろいろなものがあります。自転車で走ると清々しいです。でも、夕方になりお腹がすいてきた。。。。。

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もう終わってしまったのかな?と思いきや、いつもキャンピングカーのような出店さんがまだ、やっていて少し腹ごなし。缶コーヒーとハリケーンポテト。揚げたてで超うまく感じます。

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その後は、お約束の放生として池の鯉やアヒルなどに餌をあげます。(勿論、ぶつぶつご真言を唱えながら、仏種が育むことを願ってw)大分、日が傾いてきました。

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凄い神々しいですね。いい写真です。

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陽が温かいですが肌寒くなってきており、何故だかシチューが無性に食べたくなりました。スーパーで材料を。もう、クリスマスの展示がでています。あっという間にお正月になってしまいますね。

そうですそうです。お客様から霊符、呪符の期限が切れるのでまた作成をとのご依頼がきました。私の作るものは期限は基本は願意が達成するまで、一生ものの霊符(五帝霊符、北斗七星霊符など)以外では通常、漠然とした家内安全や総合運系、破邪系などは1年が一つの区切りではあります。また、壊れてしまったり、効力が弱まっているように感じたら作り直すのが良いかもしれません。
一応、お勧めの、霊水取得や呪符作成の新年に向けたスケジュールポイント、区切りとしては以下となります。ご興味ある方は、事前にご相談、ご依頼いただいておけると助かります。

・冬至:12月22日
・元旦:1月 1日
・立春:2月 4日

呪符関連の記事はブログカテゴリの「開運・破邪のお呪い、呪符」からか、以下の記事あたりをご参照の程お願いします。

(参考:呪符について、現在対応可能メニューです)
(参考:呪符メニュー詳細について)
(参考:風水都市『東京(江戸)』における四神相応と『五帝霊符』について)
(参考:元旦(農歴の旧正月)に滝尾神社にお参り ⇒ 鎮宅霊符外符『北斗七星霊符』完成!)
(参考:効きすぎ!!恐るべき呪符、霊符の効力!破邪系は特に最強!正に悪・即・斬! )

今、検討中なのが、四柱推命の保全をする鎮宅霊符の一つと、皆さんそれぞれの喜神、忌神の干支を補完する十二支の霊符のご提供を考えております。

夕映えの男体山は頭が少し隠れていました。霊水はやはり霊力抜群の日光の二荒山神社か霊地、滝尾神社、特に破邪に強いことが分かった羽黒神社辺りでしょうかね。他にも病気治癒に向いた場所など、奇門遁甲に対応するため全方位のいろいろな霊地の霊水場所を探索、確認済みでございます。

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もうすぐ、太陽が地平線におちて、雲一つない西の空は赤味が残り続けます。所謂、黄昏時、映画「君の名は」だと、「片割れ時」でした。心は晴れているけど少し寂しいような、凛としたような感じです。

引き続きよろしくお願いいたします。

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お世話になっております。

昨日、本日と、奇門遁甲はろくな盤がありません。特に今日は日盤が北東にしか開いておらず(開くとは吉方があることを指している、私の造語です)、とはいえ、時盤は凶盤ばかりです。かろうじて昨日のデータも微妙ですが、ちょっとドライブに出かけました。

○辛月壬寅日丙午時 南東
日盤:丙戊(丙奇得使、吉)、驚門(凶)
時盤:甲丙(青龍辺首、大吉)、傷門(小凶)

傷門かあ、何かそのような事象がありそうだな。。。。

といっても、ぎりぎりまで、行く気にもならず、南東に何か面白いところはないか?と、グーグルしていると、「愛宕神社」、更に「寅吉」というキーワードが。愛宕神社は全国に愛宕権現信仰として広がっていますから別に珍しくはないのでしょうが、寅吉?聞いたことあるな。あー、神仙道か!不思議にも先日、お世話になっている阿闍梨様と会話しており、「私も(いろいろな道の師匠の門をたたき)神仙道の先生も数名知っていますが、嵌ると人生失うかもですね(笑)あの、(参考 Amazon様:神仙道の本―秘教玄学と幽冥界への参入 (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica 42) ムック )にいろいろでていますよ。」などと伺っており、自宅に帰ったら見ようかと思っておりました。本を見ている時間はないので、兎も角、行ってみるかと出撃します。(この後、行った先で撮影した写真がこの本に結構でているので後から驚きました)

雲も少なく、晴れやかな青空の下、北関東道を茨城方面に走らせていきます。ほとんど車は走っていない状態で、私も今日は全く手ごたえもなく、申し訳ないですが全く期待もしていないので、ゆったりと走らせていると、前を三面をスモークにした真っ黒なクラウンが走っていました。流石に90キロぐらいになり、何も気にすることなく100キロで抜いていくと、なんと、運転者はヘルメットをかぶっていらっしゃる。そう、覆面パトカーでした。抜くまで覆面とはわからなかったです。あぶねーw
覆面パトカーは2名乗車が基本なようです。実は、その前の夜、暇つぶしにYoutubeの覆面パトカー特集を見ていて「マークXの覆面もかっこいいなあ」などと思っていたのでした。

(おっこれは傷門の象意発動しそうだな。。。。ちょっと、お巡りさんの後ろ、ゆっくり行ってみようか。)

BGMは、丁度、私の好きな映画でもある007のテーマがw 

また速度を90キロ弱ぐらいにすると、あーこりゃばれたな、という感じになり、さっと覆面クラウンは抜いていくのでした。でも、やはり100キロぐらいで巡行しています。完全に獲物を待つ狼ですw
そこに、後方からボックス車が2台、明らかに、1台目は120キロ越えでしょうね。こんなにガラガラなのに出し過ぎです。2台目は110キロぐらいでしょうか。私は、ちょっと考えがあって、勿論、走行車線側ですが、100キロまで速度を上げると、2台は追い越し車線を直列で覆面パトカーに差し掛かります。そして、抜いたと思ったら、一気にパトカーは一台目の裏に付き、正に牙をむきだします。屋根の隠しサイレンが出現し、数秒の電波測定のロックオン。その後、サイレン音が鳴り始めます。

(やっぱり、傷門象意きたあw。。。。。!あぶねー。これで凶意は消化されたか?アーメンw)

パトカーの裏面には「パトカーに裏につけ!速度落とせ!」の電光掲示板がさっきは単に真っ暗なスモークでしたが、赤々と表示されています。追い越ししなくてはいけなくなり、ちらっと見ますと、ボックスの中年男性は明らかにげんなりされてPAにパトカーと行かれたのでした。折角の秋空のドライブ。減点&罰金(もし30キロオーバなら免停)は痛いです。やはり安全運転でいきましょう!

こんなのを見ていましたら、あっという間に、友部インターに到着です。

覆面パトカーに一回は目をつけられたり w、その後、コンビニにトイレに行くとおっさんが籠城していて、漏れそうになったり、入ったら激臭かったり、微妙な嫌がらせが吉門だと証明しております。一応、青龍辺首ですからね!

さて、ほどなく愛宕山のワインディングを上りはじめますと、思いのほかセンターライン上にキャッツアイが。そう、走り屋のドリフト防止ですね。この辺はある意味、聖地か?w 途中、キャンプ場の駐車場もありましたが、鳥居を抜け、一番奥の駐車場まで進みおりました。

ちょっと紅葉してますね。

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結構、高台です。見晴らしよいです。

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こういう案内板が好きです。期待させられます。

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うわーこの階段、まともに下から登ったら。。。。。

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ん?このあちこちのお布施の名前入りの柱。数が尋常じゃない。これは地域で相当信仰されているな。

愛宕神社本殿に到着です。

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清々しい!これはちょっと、あの供物の雰囲気もちゃんと神主さんもしっかりした神社そうだな、とびっくり。拝ませていただくと、あーやっぱりいい感じだ。これは来てよかった!

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さて、社務所に行きまして、御札でも買うかとみて居ましたら、掛け軸の箱が。掛け軸は?と聞きますと、こちらですがと見せられたのが、将軍地蔵でした。ここは元々、神仏習合の土地で、明治の廃仏毀釈前までは愛宕山勝軍寺密蔵院があり、明治の廃仏棄釈で廃寺になったようですが、1200年近くの歴史があるようです。

(参考 Wiki様:愛宕神社)
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日本三大火防神社の一社とされる愛宕神社は茨城県笠間市泉愛宕山山頂(306メートル)に鎮座する。第五十一弾平城天皇御代大同年(806年)に徳一大師により開山されたという。
俗に「泉の愛宕」と呼ばれた。平田篤胤の「仙境異聞」では「愛宕宮」として描かれた。
境内社(奥社)の飯綱神社(いづなじんじゃ)は、延喜式神名帳に記載されている常陸国茨城郡小三座の一社「夷針神社」の論社である。例祭が奇祭「悪態まつり」として知られている。
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愛宕権現は垂迹神としてのイザナミと本地仏としての地蔵菩薩が習合した姿だそうです。そしてその地蔵は将軍地蔵であり、馬にのった甲冑姿の地蔵は剣を持っており、戦後時代には武将にも信奉されたようでした。修験道の開祖、役行者と縁深いようです。

(参考 Wiki様:愛宕権現)

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(こちらは、フランス、パリのギメ東洋美術館に収蔵)

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○概要
愛宕権現(あたごごんげん)は愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した。神仏習合の神号であり、イザナミを垂迹神として地蔵菩薩を本地仏とする。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、愛宕山白雲寺から勧請されて全国の愛宕社で祀られた。愛宕修験によって、愛宕山白雲寺の本尊の勝軍地蔵が愛宕山に垂迹した権現としてイザナミが祀られた。地蔵信仰だけでなく、塞神信仰や天狗信仰も混在した。

○愛宕修験
大宝年間、修験道の役小角と泰澄が山城国愛宕山に登った時に天狗(愛宕山太郎坊)の神験に遭って朝日峰に神廟を設立したのが、霊山愛宕山の開基と伝わる。天応元年(781年)光仁天皇の勅に基づいて、和気清麻呂と慶俊僧都によって、唐の五台山に倣った愛宕五坊、すなわち朝日峰の愛宕権現白雲寺・大鷲峰の月輪寺・高雄山の神護寺・竜上山の日輪寺・賀魔蔵山の伝法寺が建立された。愛宕山は修験道七高山の一つとされ、「伊勢へ七たび 熊野へ三たび 愛宕まいりは月まいり」と言われるほど愛宕山は修験道場として栄え、愛宕山の修験者は「愛宕聖」や「清滝川聖」とも呼ばれた。江戸時代にかけて愛宕修験がますます盛んになると、愛宕山白雲寺から勧請された愛宕社が全国に広まった。

○軍神信仰
愛宕山白雲寺は勝軍地蔵(将軍地蔵)を本尊としたため、戦国時代にかけて愛宕権現は勝軍地蔵が垂迹した軍神として武士から信仰を集めた。

○塞神信仰
塞神信仰や陰陽道の影響から、愛宕山は平安京の北西(乾)に位置する守護神ともされた。

○天狗信仰
愛宕修験では天狗信仰が盛んだったため、愛宕太郎坊天狗も祀った。藤原頼長の日記『台記』にも愛宕山の天狗信仰に関する記載がみられる。 若宮を太郎坊大権現と称してカグツチをイザナミの第五皇子であるとしその化身が愛宕太郎坊であるとされた。(第五とするのは日本書紀の記述より天照、月読、蛭児、素戔鳴の順でその次の弟とされる為) また、神武天皇が長脛彦を撃破した際、現れた金鵄もまたカグツチの化身であるとされた。 なお東京都港区の愛宕神社 (東京都港区)では、愛宕太郎坊は猿田彦の化身とされている。

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あら?東京の愛宕神社は猿田彦の化身でしたか。

おおおおお!これはいいですね。早速、購入です。掛け軸を、いきなり来て迷いもせず、速攻で購入する人は珍しいのか、「こういうの好きですか?」と神主さんが会話をしてきます。「ええ、丁度、都内の出世階段で有名な愛宕さんに縁がありまして、家で祀りたいと」などと、いろいろと。

(参考:久しぶりの愛宕神社で江戸の黎明期の都市建設、国家の風水と四柱推命の秘剣を思う )

こちらの開山は徳一大師だということや、話が進みますと、先日の栃木県立博物館「中世 宇都宮氏 尊氏、頼朝、秀吉を支えた名族」の話などをしますと、宇都宮氏はここまで攻めてきて笠間一帯を支配したことがあったそうで。

(参考:「中世宇都宮氏 頼朝・尊氏・秀吉を支えた名族」 )

あと、例の寅吉の話をしましたら、どうも、神社から300段したの階段のところに石碑があるとのこと。ともかく、愛宕神社本殿の奥の宮にあたるところに、飯縄神社があり、十三天狗の塚があるとのことで、行ってみることにします。

おお!これは?太陽の光に随分、神々しいぞ。

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徳一大師の宝篋印塔だそうで。正面に徳一大師とあり、左面、裏面、右面と、それぞれ祈るとそれぞれのご利生をいただけるようです。

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次は飯縄神社の手前、ここは、地面に岩盤がでていて、小波のようになっています。これが気が出ている場所らしく、ご丁寧にパワースポットの看板がw 確かに気持ちいい場所ではあります。

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登って飯縄神社にお参りしました。

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裏には六角殿。中央に菊紋が。どうも、天皇家に縁があるようですね。

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裏には十三天狗の祠が。

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帰宅後、神仙道の本を見てみたら、この六角殿と十三天狗の祠の写真がでておりました。

それぞれ拝んでいきますが、林が風に靡きザーっと音がして、こりゃあ、本当に天狗がざわめいているような。ぴんときましたが、そういえば、先日行った金毘羅権現の眷属も天狗でした。虎ノ門金刀比羅宮のマークも天狗が手に持っている「天狗の羽団扇」マークもあったんだ。なんとなくご縁続きだな。

(参考:虎ノ門金刀比羅宮 月例祭 里神楽に酔いしれ白蛇様に出会う。〆はキノコ鍋。 )

ともかく清々しい感じで、お祈りしてきました。

本殿に戻ってきて、先ほど聞いた寅吉関係の石碑があるとのことですが、下を見るとうわーこれ上り下りやだなあ。右手を見ると、女坂?が。こちらから降ります。こっちのが緩やかで安全です。

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さっきのキャンプ場の駐車場まで降りてきました。イチョウの木がいい感じで紅葉しています。

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振り返って女坂?入口を見るといいかんじですね。

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道路を少し降りていきますと、おっ!これが寅吉関連の石碑ですね。

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そもそも、寅吉って?この方は、天狗小僧寅吉。江戸後期の国学者、神道家の平田篤胤公が、この寅吉から聞いた話をまとめた本が仙境異聞という本です。江戸にいた寅吉が、杉山僧正という神仙に出会い、この愛宕山当たりの深山の修行場に時空を超えて飛翔してつれてこられたというのです。「岩間山に十三天狗、筑波山に三十六天狗、加波山に四十八天狗、日光山には数万の天狗」がいると描き、江戸の文化人に霊界としての「岩間山」の存在が知られるようになったそうです。

(参考 Amazon様:仙境異聞・勝五郎再生記聞)
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文政3年,浅草観音堂の前にふいに現れた少年寅吉.幼い頃山人(天狗)に連れ去られ,そのもとで生活・修行していたという.この「異界からの帰還者」に江戸の町は沸き,知識人らが連日質問を浴びせかける.彼らへの応答から次第に構成されてゆく「異界」のすがた.江戸後期社会の多層的な異界関心の集大成的な記録.
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このような当時の都市伝説?wが生まれるのは、現在と同じで、時代の裂け目というか大きな変化の前だからでしょうか。平田篤胤公は明治初期の神仙道ムーブメントの生みの親とも言われています。

篤胤公が寅吉送った歌とされる石碑の内容は以下のようです。
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篤  胤  歌  碑

 寅吉にはなむけと詠(よ)みたる歌と其の端言(はしことば)は左に挙ぐるがごとし仙童寅吉が山人の道を修行に
山に入るに詠みておくる

寅吉が山にし入らば幽世(かくりよ)の知らえぬ道を誰にか問はむ いく度も千里の山よありかよひ言(こと)をしへてよ寅吉の子や 

神習ふわが万齢(よろづよ)を祈りたべと山人たちに言伝(ことづて)をせよ 万齢を祈り給はむ礼代(いやしろ)は我が身のほどに月ごとにせむ 神の道に惜しくこそあれ然(さ)もなくばさしも命のをしけくもなし
      
かく記しよみ聞かせてぞ与へたりける
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ふーむ、なかなか趣深い場所でしたね。

さて、続いて車道を少し歩くと、さっきみた300段の階段、男坂?入口です。途中に軍荼利明王の祠など、神仏習合の痕跡があちこちに。これも出世階段だろ?w

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登り切り(筋肉痛確定 w)、もう一度本殿で祈りまして、神社を後にしました。なかなかの散策になりましたね。

さて、ここ笠間といえば、笠間稲荷が有名ですが、実は笠間焼き、焼き物の町としても有名です。ふと、体験コーナーがあり、体験してみるかと立ち寄ってみます。

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ろくろ、絵付け、手ひねりが体験でき、今回は手ひねり体験をしてみます。

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焼いて色を付けて仕上げてくれます。

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粘土をもんで、潰して、皿を作ります。家紋でも掘るかw 完成です。到着は2か月後だとか。

その後は、帰宅途中、親戚の家により前回のコンニャクのお土産などを渡し、家路につきました。

(参考:驚異のコンニャクパーク、妙義山中腹の温泉にて )

中々充実でした。引き続きよろしくお願いいたします。

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お世話になっております。

ふっと、御祭りの太鼓と笛の音が聞こえてきて、あれ?こんなところでお祭り?

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とお昼の時に虎ノ門金刀比羅宮さんに近づいたら、案の定、御祭りをやっていたのでした。

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このようなビルの谷間の神社さんながらこの、御祭りの音には癒されますね。あれ?この占い小屋は?なんと生きた白蛇さんをご神体にして、占い小屋を毎月だされているようです。

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「写真撮っていいですか?」

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「いいですよ!ほら、出てきちゃったでしょう。珍しいな、こういうのを撮らなくちゃ」

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「は、はい!」w

しかし、いきなり白蛇とは。これは金運上昇か?w しかもよく考えてみると、この虎ノ門金刀比羅宮のマークは○金ですわ。
さて、ちょっとお話ししてみますと、占い師のこの男性は四柱推命使いとか。

「実は私もやっていまして」と、まさかスーツ姿のその辺のリーマンが言うとは思いもよらなかったのか、びっくりされていました。

「実は、この後、大阪の有名なタロット占い師の先生も来られるんですよ」などと、このまま仕事を投げ捨てて遊びにいきたかったですが、我慢我慢w

いつものようにお参りして。

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御神籤をとって、神楽が始まったようなので、暫し、拝見しました。こんなビルの谷間の神楽とは。

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舞う能面のその能面がやけに迫ってくるような、それでいて心は清々しい気持ちになっていきます。不思議ですね。

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(参考 youtube様:虎ノ門金刀比羅宮 里神楽)




さて、ボチボチ仕事場に戻らないと。午後の仕事はばっちり完了しました。

宇都宮に帰還後は、スーパーでキノコ鍋の汁に反応。シイタケ、マイタケ、ヒラタケ、エリンギ、シメジ、エノキ、白菜、ネギ、下味程度の鶏肉、厚揚げと。うまい!!味が濃い目でキノコにあいますね。今日の〆がキノコ鍋でしたが、最後の〆は雑炊に。これまたうまい。腹がもたれない。野菜はいくらでも大丈夫ですね。

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さて、ぼちぼち酒が回ってきたので、寝落ちします。

引き続きよろしくお願いいたします。

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