お世話になっております。

昨日は日光へ。奥日光に一泊し、東照宮で陽明門が修復が完了したとのことで行ってみましょうかと。

勿論、いつもの奇門遁甲はチェック済みです。宇都宮からですから2時間かからず中禅寺湖に到着します。チェックインまで時間がありますし、中禅寺湖の歌が浜で写真を。気温は暖かく小さな虫がたくさん飛んでいました。この辺で海抜1000メートルはあります。

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チェックインまで時間がありそうだと近くの(参考 食べログ様:メープル)様で遅れたお昼を。

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中禅寺湖を見ながらの食事は格別でした。

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次は一気にホテルへ。戦場ヶ原を超え、奥日光湯の湖畔の温泉郷へ。こちらは(参考:奥日光小西ホテル)様。こちらは、前からよく日帰り入浴には来ておりまして、湯質や雰囲気など良いとよく知っていての予約でした。ともかくこの湯の湖温泉郷の湯質は半端ないっす。

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夕食まで時間がありますので、ちょっと湯の湖を散策を。やっと春が終わった感じです。こちらは海抜1400メートルの場所です。でもさほど寒くなく丁度良い感じでした。

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湖畔を少し歩くと、野鳥の声などが聞こえてきます。癒されますね。

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ホテルへ戻って温泉へ。この白濁の湯がたまりません。夕食もとても美味しかったです。

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夕食が終わってロビーに参りますと何かイベントが。(参考 Wiki様:投扇興)大会が行われていました。

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投扇興(とうせんきょう)とは日本の伝統的対戦型ゲームの一種である。桐箱の台に立てられた「蝶」と呼ばれる的に向かって扇を投げ、その扇・蝶・枕によって作られる形を、源氏物語や百人一首になぞられた点式にそって採点し、その得点を競う。
投扇興の起こりは江戸時代の中期、安永二年 (1773) の頃の京都であったとされている。中国伝来の投壺(とうこ)という遊びがあったが、これは作法やルールが煩わしく、誰でも手軽に遊べるものではなかった。そこで女性や子供でも、手軽に楽しめる遊びとして投扇興が考案され、庶民の間で大流行した。しかし、投扇興が賭博に利用されることもあり、幕府からたびたび禁止令が出さることもあった。そして明治以降は、西洋化の影響などによって投扇興も、ごく一部の人の間で楽しまれる程度に衰退していった。戦後になって復古され、現在は大小の団体が様々なルールや形式を用いてそれぞれ活動している。またマスメディアによって、度々取り上げられ、認知度もかなり上がっている。

(ルール)
流派によっても違うが、緋毛氈の中央に的を置き、投者2名が向かい合って扇子を交互に10回程度投げて、合計得点の高いほうが勝者となる。投げる距離は0.9 - 1.8m。距離が近い流派の場合、投げる際に前かがみになってはならない、など制約がある。
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枕(台)の上に置かれた、蝶(的)を目がけて、投扇興用の扇を投げます。

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点数表の紙が渡されまして、まずは練習を続けます。右手の手の甲の代に関節あたりに扇をのせ、親指を添え、まっすぐ振り下ろすと、扇がふわっと飛んでいきます。

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単純に蝶を落とせばよいのではなく、落ちた結果、蝶が立っているとか、扇と位置関係で点数が大きく変わるようです。内容とは百人一首などをが使われえており、なんとも雅な雰囲気の遊びです。中々楽しめました。

たっぷりと温泉を堪能しまして、翌日、宿を後にしました。また来たいですね。マナー、サービスも良い素晴らしい宿でした。

さて、日光市内まで降りてきてへ東照宮へ向かいます。ゴールデンウイークですし、陽明門修復イベントもあり、混んでますね。

(参考:日光東照宮)様です。

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三猿です。

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続いて陽明門です。綺麗に修復されているようです。

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この門の上に北斗七星が輝きます。門をくぐり、本殿でお祈りした後、奥の院へ。眠り猫がいます。

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細い回廊を辿っていきます。階段は若干多く200段程。

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途中でこのような看板が。胸に響きますw

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ついに奥の院へ。

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こちらが家康公の墓所です。

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家康公は一度、静岡の久能山東照宮に埋葬された後、武者行列しながらこちらに運ばれました。隠宅風水で行う二度葬ですね。徳川将軍家の墓は日光は、東照宮の近くにある(参考:大猷院)に三代将軍の家光公の墓所があります。あとは東京の上野の寛永寺、芝の増上寺の3箇所になっています。特に芝増上寺では戦時中、爆撃でお墓が破壊され、中の水銀処理されたミイラがでてきたようです。二度葬の中にピラミッドにつながるような半永久的に子孫にパワーを与えるような思想がありそうですね。水銀は、高野山の弘法大師の奥の院でもでてくるキーワードであります。

この辺のお勧め本は、東照宮の文庫長の方が書かれた、(参考:日光東照宮の謎)がお勧めです。

吉田神道に人を神にして祀る技法が伝えれており、実は家康公の前にこれを実施した人物がおりました。それは誰か?

阿弥陀ヶ峰、(参考 京都観光Navi様:豊国廟(駒札))の豊臣秀吉公です。

上に挙げた日光東照宮の謎にこのことが詳しく書かれています。秀吉公も実は神になっており、豊国大明神(とよくにだいみょうじん)という神号です。この辺の経緯は歴史的にもかなり面白いですし、密教、神道、そして風水的な観点でとても興味深いと思います。

こちらの東照宮や奥の院の場所は、恒例山という小さな山の峰に建てられておりまして、元々は、日光開山勝道上人の墓所があったようですが、奥の院から表鬼門、北東に位置する現在の開山堂に移動されています。対して、裏鬼門、南西に家康公を日光に祀った人物であり、信長公によって焼き討ちされた比叡山の復興をはじめ、寛永寺と共に天台宗中興の祖といえる、徳川幕府の黒衣の宰相と言われた天海、慈眼大師の墓所があります。西は三代将軍、家光公の墓所があります。このように日光山内でも霊的な結界が張られているのです。勿論、その他の歴代将軍の墓所がある、東京の寛永寺、芝増上寺と結ぶと、日光と江戸を結ぶ霊的結界がみてとれます。

日光山は1200年前からの古い山岳信仰がありまして、熊野信仰、出羽山岳信仰などとも深い関わりを持っておりました。日光三山にはそれぞれ神仏が習合されています。神仏習合の世界観です。さらにこの古代信仰を活かす形で東照大権現、山王一実神道の世界観が組まれています。

奥の院の場所は、関東平野全域の巒頭(らんとう)としてみなした最強の龍穴(りゅうけつ)、もはや徳川家だけの風水を超えており、徳川の繁栄だけでなく、江戸、東京は、日本全域に影響を及ぼす風水装置が作られており、そしてその起点となるこの場所は重要な場所であるといえるでしょう。

家康公は400年前にその基礎を作ってくださった、と頭が下がるばかりです。前の記事でも書きましたが、都市の基礎となる治水の点で、元々、江戸は荒川、墨田川、江戸川、そしてなんと利根川まで江戸湾に流れ込んでいた、首都にするには不適切な土地だったのです。それを利根川を銚子に東遷事業を50年かけて今の江戸が完成しています。このようなハードウェア面を補うのが、風水という霊的な仕掛けです。まさに家康公は、その馬印「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」そのものに、江戸の枯山水を浄土に変えてしまった。

(参考 Wiki様:厭離穢土)
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厭離穢土 (おんりえど、えんりえど)とは、浄土教の用語。欣求浄土と対句で使われることが多い。読みは、おんり-が一般的だが、辞書によってはえんり-を採用しており、逆におんり-は誤りとするものもある。この娑婆世界を「穢れた国土」(穢国)として、それを厭い離れるという意味であり、阿弥陀如来の極楽世界は清浄な国土であるから、そこへの往生を切望するという意味。語源は、源信の『往生要集』冒頭の章名に由来するが、その内容は「欣求浄土」とともに、浄土教思想の基本的特質を表している。
厭離穢土欣求浄土」は戦国時代、徳川家康の馬印に用いられたことで知られる。松平元康(後の徳川家康)は、桶狭間の戦いで今川義元討死の後、菩提寺である三河国大樹寺へと逃げ隠れた。前途を悲観した元康は松平家の墓前で自害を試みるが、その時13代住職の登誉が「厭離穢土欣求浄土」と説き、切腹を思いとどまらせたと言われる。すなわち、戦国の世は、誰もが自己の欲望のために戦いをしているから、国土が穢れきっている。その穢土を厭い離れ、永遠に平和な浄土をねがい求めるならば、必ず仏の加護を得て事を成すとの意味であった。
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(参考:「風水都市『東京(江戸)』における四神相応と『五帝霊符』について 」)

奥の院からふと北東方向をみながら、目を閉じると、まるでドローンにつけられたカメラのようにこの辺の風景がイメージできます。このあたりのハイキングコースはくまなく歩いており、イメージできるのです。山から下りれば、パワースポットとして昨今有名になりつつある滝尾神社が。滝尾神社から石畳の歴史散策路を南に下り、開山堂、そして山内に至り、四本龍寺から神橋へ。そこからまた北に戻れば、輪王寺の各院のお寺などがあり、輪王寺が、そして東照宮の正面へと。西に大猷院、南西の大黒山に慈眼堂が。日光の風水曼荼羅がイメージできる気がします。

このような日光山内の俯瞰イメージをしたら、今度は意識を高いところにもっていくと、家康公が終生愛した富士山から発した龍気は実は男体山の頂上から見えるのですが、日光三山(男体山、女体山、太郎山)に至り、そこから龍は東照宮の龍穴から吹き出し、平野へ驀進します。時折小さな山など山海を生みながら。男体山からスカイツリーの海抜634メートルと同じ高さの東照宮から発した龍のエネルギーは、波打ちながら日光街道を下り、東京の皇居に至ります。皇居は東の丸、西の丸と太極図のような構成となっています。ここで龍が太極でうねりながら、天空に駆け上がり、天から関東全体、日本全域に気が降り注ぐようなイメージが持てます。

観想を終え、目を開けますと心地よいパワーが満たされておりました。しかしまあ、このようなことをビジョンをもたれていたのですかね、慈眼大師は。凄すぎますね。良い満足感に満ちつつ、東照宮を後にしました。

そうだ!先日の達磨の自分の開眼のために霊水をとらないと。二荒山神社により、霊水をいただきました。神泉苑入口にはこのようなアニメキャラが。昨今多いですねw

(参考:達磨の里にて師匠様から達磨式開運ポイント、達磨寺にて鎮宅霊符神のご神徳賜りました )

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さて、自宅に戻り晩酌にします。

引き続きよろしくお願いいたします。

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