お世話になっております。

中国のロビー活動は既にイスラエルロビーを超えているという話があります。第一次安倍政権頃は、中国がしかけた日本孤立化戦略は功を奏し、靖国神社問題を中心に、日本は悪の国として孤立していたのです。知ってましたかね?既に、アメリカは力はなしと韓国も相乗りし慰安婦問題でけしかけ、気が付けば日本に中国、朝鮮の息のかかった政権が誕生。そして、大震災がきたのでした。
ここまでは完全に圧倒していたのですが、ジョーカーをを引いたのは、AIIB事件です。ドル体制を引くアメリカ、そして寝ぼけていたオバマさんもこれには目が覚めて、中国封じ込め戦略に転換したようです。その後、上海株暴落、一気に隆盛していた中国が窒息していきます。その流れが韓国に波及し、慰安婦合意と流れていきました。そして、中国は反転して、世界支配者会議、ダボス会議で、「ナショナリスト(国粋主義)やめまーす!グローバル最高!」と嘘演説をし、トランプにも北朝鮮で協力するなど嘘をついて、懐柔してきたのです。この口だけ外交にしても、ロビー活動にしても凄い行動力です。ここは本当に侮れません。詳しくは以下の記事シリーズをどうぞ。

(参考 ダイアモンドオンライン様:中国がトランプ懐柔攻勢、日米関係が良好でも気を抜くな)

特に重要なメッセージを引用させていただきますが、「今年は、日中戦争開始から80年にあたる。1937年にこの戦争が始まった時、日本は、米国、英国、中国、ソ連を同時に敵に回していた。つまり日本は孤立したから戦争に負けたのだ。日本は歴史の教訓を活かし、孤立しない外交を展開していかなくてはならない」です。

人間関係でも、すぐに意固地になって怒らないで、我慢できるか?責任や仕事を投げ捨てず我慢できるか?その器が重要です。これが、四柱推命で言う、身強ということだそうです。でも、四柱推命で身中や身強でも、実際には精神力や、社会性を磨ききれず、感情を抑え切れず、すぐに激高して人間関係を断ち切るような人は、この訓練ができていないといえるでしょう。結果的に身弱の振る舞いとなってしまいます。
太平洋戦争の時は、なんと世界の果てのドイツ、イタリアと同盟し、孤軍奮闘していたのです。絶対に勝てませんよこれは。つまり、戦前の日本は四柱推命でみたら、身弱の人が発狂して周りの人全員と喧嘩をしかけた状況であったのです。これが、もし、イギリスなどとぎりぎりまで同盟を護り、「日本よ、ちょっと意固地でないかい?」と言ってくれる人の話に耳を傾ける度量、器があったなら歴史も変わっていたでしょう。まさに言われているうちが花、言われなくなったら御終いだと思います。

ところで、個人の身弱の人は考え方が印綬過多というか、自分に甘いです。自分の頭の中での判断もそうだし、身の回りの人間関係でもイエスマンに甘い。個人の方の身弱の内弁慶、内ゲバは、小野先生のお話しでは、うだつの上がらない40過ぎの娘が老いた母親に家庭内暴力するとかいう形で現れるようです。

では、これが集団だとどうなるか?そう、戦争末期の日本はどうだったか?簡単にいいますと、究極の内弁慶、内ゲバに向かいます。その一つが、神風特攻隊にも表れています。以下の終戦末期に作られた、人間ミサイル、飛行機版の(参考 wiki様:桜花(おうか))、魚雷型の(参考 Wiki様:回天(かいてん))に究極型として現れていると思います。一度、搭乗すれば、敵に突っ込み爆発して敵を巻き込み自殺するという狂気の兵器です。


(参考 youtube様:「ロケット特攻兵器 【桜花】 生き残った特攻隊員と開発者の証言記録 20110821 」)



(参考 youtube様:「人間魚雷回天 」)



御国のためだと、洗脳し、人間爆弾に乗せ、訓練させて、自殺させる。実被害にあったアメリカ軍も甚大な被害をうけていますが、輸送時に相当破壊されたようで、全体では無意味な取り組み、いや国家を挙げた内ゲバだったといえるでしょう。無条件降伏した時点の日本には5000機以上の桜花が作られていたようです。下手したら、我々のひいおじいちゃん辺りが死んでいて、我々も存在しなかったかもしれません。

間違えないでいただきたいですが、私は国家保障(ナショナルセキュリティ)に対して日本はもっと力を自己管理すべきだと考えておりますし、単純に反戦主義者でもありません。孤立すればろくなことがないという、人間の社会性は個人も国家も同じで、最後まで激高、感情による拒絶という浅慮にいかずに、心の柱を強く持ち、忍耐深く、社会に参画しつづけなくてはいけないと思っております。思考停止したものに未来はないのかと。勿論、その子孫にもです。

まさに、徳川家康公の遺訓

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。」


これこそ、生まれながらにして今川家の人質、義理の父(今川義元)と上洛したら、桶狭間で急死、その後、信長と天下布武に協力するも、武田信玄と戦い九死に一生を得て、その後、信長は本能寺で急死と何度も死の淵に立たされ乗り切ってきました。秀吉の台頭に忠実な部下を演じ、死後は勢力拡大し関ケ原でも兵力差があるなか政治力、つまり人間関係で忍耐深く、社会性を失わなかったから、敵味方が味方として結集し、結果、天下人になれたといえるでしょう。まさに、徳川家康公の遺訓は人生の身強の遺訓と思えませんか?

引き続きよろしくお願いいたします。

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