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お世話になっております。

前回は人が一気に集まって、リーダクラスも含め集まってきたお話をしました。できるなら、生年月日を教えれもらえば、その人の命運だけでなく、仕事の向き不向きを四柱推命で把握できてしまいます。例えば、ある干の方は、好き嫌いがはっきりしていて嫌いなことは飽きっぽいから、褒めつつ好きな仕事を餌にしてやらせろ、とか。例えば、ある干の方は、能力以上に目立ちがたがり屋で人の話を聞けないから報告連絡相談を徹底させろ、とか。この人は横のコミュニケーションが得意でマネージャータイプ。この人は技術を追いかけるアーキテクトタイプなど、四柱推命がわかれば、尚、こちらもマネジメントしやすいです。

まあ、諸天と奇門遁甲の力のおかげでしょうが、私の周りには喜神の部下たちが集まっていたのでした。吉祥と言えるでしょう。

中にはリーダとしてきた方も、中々、立ち上がりにご苦労され、他のリーダーの不評を買ってしまったりしたりします。私はPMですから、それらのディスコミュニケーションを個別に解消していくのが仕事といえば仕事です。

ところが、神秘学をやっている人間ならば、常識なのですが、運が悪い人がリーダになると、とたんにチームに災いが起きてきます。この現象の説明と対処方法については、また別の機会としたいですが、一つの対策アプローチに、四柱推命と奇門遁甲を使った改善方法がございます。

簡単な方法ですが、この人に開運方位をとらせる、というシンプルな方法です。幸いなことにこの方はこういうことに興味があり受け入れてくれたので助かりました。(気を付けないと、宗教だ!とかうざいですからね)

で、その方が、メンバーに不評を食らい、お客様にも叱られた前の週の話。ランチを食べていて気になったのが、いきなり思い立って鎌倉に行ったというのですよ。その方位を調べてみました。

そしたら、癸癸の「伏吟天羅」という凶格で、仕事運には「得意先でクレームをつけられ、上司にどなられ、身の置き場を失うだろう。」との記述があり、これを見せたら、ご当人。「当たりすぎて怖いです!」とのことw
で、その話ができたのが、この人も、本当は運がいいのでしょうが(正確に書くと、今年は運があがっている)、その週末金曜の夜に会話しておりました。

で、聞いてみたんです。「明日はどんな予定?」と。聞いた予定の行く方位、全て凶方位でしたw

そして、またその凶方位の象意をお教えしたら、流石に「すみません、ご指導ください」wと、仰られたので、了解!っと。

土曜、日曜と吉方位をとらせたんです。結果は、見違えて流れが良い方向になりました。効果覿面です。この人も信じて、朝早く映画にいったり偉かったw

とはいえ、私のチームなので、トップの私の運気の影響を受けますから、私もパワーを上げておく必要があります。それが、今回の方位取りとなります。

この日は北東を目指します。目指すは、茨城県常陸太田市にある(参考:東金砂神社)さんと(参考 常陸大宮市HP様:西金砂神社)さんです。

何か前から気になっていたんです。徳川家の水戸藩の所領でもありましたが、その前の大名の佐竹氏にとってはこの土地は、以外や以外、水戸が拠点になったのは後世であって、元々は、この地に400年ぐらいいたらしいです。そして、戦国時代の終わりのエポックとなった関ケ原の戦い以降、秋田に移封されたときにも、この神社の神は一族にとって重要な神だったらしく、この神様の分霊をもっていったらしいのです。それだけ重要なんでしょうね。

さて、宇都宮から2時間程度、100キロぐらいで到着です。結構、山奥で、ワインディングの多い道を超え、まずは東金砂神社さんから。

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(ご縁起)

祭神名:大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこのみこと)

 延暦二十五(八0六)三月(五月に大同と改元)平城天皇の勅願によって、宝珠上人が社殿を造営し祭壇を設けて、現在の滋賀県大津市坂本にある日吉神社(山王権現)の祭神の分霊を祭って、国家安泰、五穀豊穣の祈願所とした。翌大同二年(八0七)坂上田村麻呂が、蝦夷征伐の際、祈願のため多宝塔を建立した。
 仁明天皇の承和年間(八三四-八四八)唐に渡って帰国した慈覚大師が、嘉祥二年(八四九)諸国巡拝の際当山に登った。山上からの眺めが、比叡山によく似ているので大師は二十一社の末社を移し祭り、なお羅漢堂を建て十六羅漢を安置した。
 源頼義とその子義家は奥州征伐の際戦勝を祈願して、それぞれ太刀を奉納し、頼義はまた、治歴三年(一0六七)の大祭を自ら祭主となって執行し、そのとき柄太刀を奉納した。
 佐竹氏は、当社を祈願所と定めて神領、千二百石を献じ、建保三年(一二一五)家紋扇を神社の紋章に使用することを許した。すなわち、当社の神紋は「丸に日の丸五本扇」である。応永二十一年(一四一四)十二月、火災にあって社殿を失い、同三十一年(一四二四)十二月、再建成って正遷宮を行った。
 豊臣秀吉は検知の際、社領千二百石を寄進した。元禄年間(一六八八-一七四0)徳川光圀は、山上の僧坊二十一を除き、僧徒を退けて別当をおいた。
 明治三十六年(一九0三)一月、火災にあって再度社殿を失ったが、同四十四年(一九一一)十一月再建した。境内の地積は一万三千二百八十六坪で、一石一字の経塚が境内に残っている。祭礼は、二月十一日の嵐除災と、十二月十三日の金砂祭(かなさまち)と、七十三年目に一度執行される大祭礼(大田楽)とである。
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滋賀県にある日吉神社(山王権現)の分霊をもってきたという点が重要みたいです。

入り口の説明をみると、歴史のある田楽が伝わっているようです。この田楽がとんでもない歴史が長いもので、平安時代(851年)に開始され、しかも、72年に一回というとんでもないスパンで続いてきたようです。残念なことに、2003年に72年ぶりが行われてしまったようで。しかし、72という数字が非常に気になります。

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結構、上の方にあります。

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こちらは拝殿です。例の10メートル手前のパワスポで瞑想し気をチャージします。

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鐘が。ここも神仏習合色が強いですね。勿論鳴らして、光明真言を唱え、諸仏に回向します。

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本殿の賽銭箱をみると、この家紋が。これをみると、那須与一公を思い出してしまいます。

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本殿をぐるっと回り、裏手に見晴らしが。いい絵ですね。確かに、慈覚大師がこられて、比叡山ににていると仰ったようですが、そんな感じもします。

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さて、満喫しましたので、次の目的地、西金砂神社へ向かいます。距離は10キロぐらいでしょうか。一旦山をおり、平地にでて、峠を越え、またこちらも山の上です。(所謂、酷道には慣れっこだったりw)

到着です。こちらは西金砂神社さん。これまた山深い、先ほどのよりやばいかもw

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御由来:

西金砂山の頂上にある神社で,祭神は大己貴命と国常立命と少彦名命。大同元(806)年に天台僧の宝珠上人が,社殿を造り祭壇を設けて,近江国比叡山の日吉神社の分霊を勧請・祭祀したのが始まりとされています。
創建当時は,比叡山延暦寺の伽藍を模した七堂伽藍中堂を設け,千手観音を諸沢村堂平に,鐘楼と経堂を赤土村太平山に建てたほか,中染村羅漢沢に十六羅漢を祀りました。
中世は佐竹氏の厚い崇拝を受け,近世には,徳川光圀公の宗教政策によって西金砂山から社寺や古仏像を廃し,僧侶を別の地に移すとともに,社地26石を寄せられました。
社地は自然林に囲まれた西金砂山の一帯を占めており,御神木の老杉,大イチョウ,大サワラなど,茨城県の天然記念物にも指定されている名木の数々を見ることができます。72年ごとに行われる大祭礼や6年毎に行われる小祭礼,それらの際に奉納される田楽舞(ともに茨城県指定文化財)でも名を馳せています。
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東西の金砂神社が、日吉大社の分霊だった。そして、ふと、我々は日本地図を俯瞰します。

そう、京都からこの地は、北東鬼門の方位です。比叡山が京都の鬼門を護っているように。

そして、このライン上に、埼玉県には(参考 Wiki様:金鑚(かなさ)神社)という大岩をご神体とする神社があったのでした。不思議ですね。

でも、北東守護を仰せつかった名残なのは間違いないでしょう。こんな偶然ないですから。さて、入り口鳥居にて一礼です。

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ほどなく産道を歩いて、参殿です。

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その奥に、本殿があるのですが。。。。。ぐわーこれはまたw

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などと、見上げていたら、老ご夫婦が上から降りてらっしゃいました。こういうときはご挨拶が普通です。

私「こんにちは!」

旦那様「こんにちは!いやー神様が暇してらっしゃるよ」

私「????」

旦那様「こんなに暇されているから、きっとわざわざお祈りに行くのだから、ご利益あるよ」

私「はあ。。。ありがとうございます。」

などと、意味不明の会話をされてしまいました。こういうのも梅花心易、つまり偶然から推し量れば、素直に吉祥と喜んでよいのでしょうね。なんとか、急な階段を上ります。(以前、那須岳に登った時、奥様が崖でバックテンして死にはぐった(で無事、着地したのでジャニーズものでしたがw)ので、私の付き合いも大概にしていただかないとやばいですw 慎重に登れ!と掛け声を強めにw)

こ、これは?あの茨城県日立市にある大甕神社そっくりではないですか?また、熊野新宮のごとびき岩も彷彿させます。

(参考:清らかな泉の神と封印された星の神にパワーを賜り磯焼グルメ )

(なんと、あの72年に一回のお祀りでも、海から祭神が来たことを暗示するルートでお練りするのですが、途中に大甕神社を経由するらしく、これは何かありますね)

本殿でお参りです。勿論、例の神道灌頂で得た秘印を結び、ご真言を。この地に幸あれ!

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本殿の裏の開けたところからの風景。これまた、比叡山からの風景を彷彿とさせるのでしょうか。

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また例の家紋です。

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ほどなく下山です。17時前に降りないと。奇門遁甲の時盤の根付けをしないといけません。場所は、(参考:西金砂湯けむりの郷金砂の湯)様。こちらは温泉でないですが、最高の湧き水をつかった沸かしのお風呂です。

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しかし、腹が減りました。食堂はJA共同なだけあって、メニュー充実です。でもシンプルにきのこ蕎麦に。めっちゃくちゃうまかったです。そしてお風呂ですっきりです。

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お風呂でゆったりして、帰宅しました。良い旅でした。

引き続きよろしくお願いいたします。



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