お世話になっております。

数年前ですが、先日ご紹介した秩父三十四観音霊場。これに続き、チャレンジしたのが、坂東三十三観音霊場です。この時は既に高野山結縁灌頂、胎蔵界、金剛界を終えた後でした。

(参考:我が家の守護神、立里荒神とのご縁 )
⇒高野山結縁灌頂についてはこちら。
(参考:開運ツアー『秩父観音霊場』の思い出 )
⇒秩父霊場はこちら。

(参考:坂東三十三観音(オフィシャルサイト))


霊場巡りにはガイドがあります。基本作法や心手的なものもありますので、こちらを購入するといろいろと役に立ちます。

(参考 Amazon様:坂東三十三所観音巡礼―法話と札所案内)
(参考 Amazon様:秩父三十四所観音巡礼―法話と札所案内)
⇒前回、秩父のを掲載するのを忘れていました。
おまけでこちらも。
(参考:西国三十三所観音巡礼―法話と札所案内)


こちらは関東一円、東京、神奈川、千葉、群馬、茨城、栃木各県に広がっておりまして、西国もそうでしょうが、最低での走行距離が1,300キロを超えるという代物です。様々な宗派のお寺もありますし、有名な寺もありますし、変化に富んでいて楽しいとは言えます。

坂東三十三観音霊場 関東一円 1300キロ全工程

そもそも観音札所巡りの起源についてですが、上記の坂東霊場ガイドの冒頭の浅草寺の清水谷貫首の御言葉をお借りします。

「観音信仰の基盤を成す代表的な経典は妙法蓮華経の中の普門品第二十五であるが、真心をもって一心に観音の御名を唱えれば、その音声を観じてたちどころに我々の苦悩を観音菩薩は救いたもうとある。そして、その慈悲心のお働きが、姿を三十三種に変じての救いになったと言われるのである」
とございます。これが33の云われですが、秩父の34は西国33、坂東33に足して100にするためにそうなったというのが実際のようですね。まあ、99よりは100のが切れは良いですねw

さて、坂東霊場の歴史的な経緯はこちらです。

(参考:坂東三十三観音(オフィシャルサイト)の歴史 より)

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坂東札所のうち約十カ所に及ぶ霊場の『縁起』が花山法皇が巡って来られ、札所に指定されたと記している。たとえば永禄三年(1560)に書かれた『杉本寺縁起』には「永延二年戌子の春、忝も法皇御順礼の勅命有て、当山を以て坂東第一番と定め御順礼有り、夫より今に至るまで貴賎の順礼絶せずとなり」と記されている。  ~(中略)~ 
坂東札所は花山法皇によって巡られたのをその嚆矢としていることであり、その伝承を少なくとも江戸時代までは信じていたということである。 ~(中略)~ 坂東札所そのものが、どこまでも西国札所に倣って行われたものであることが示されているともいえる。いわゆる西国札所の地方移植の一つが坂東札所なのである。

 ~(中略)~
西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、やがて札所が形成されていったのはいつの頃であったろうか。いま、その経過を明らかにする史料はないが、直接の契機は鎌倉幕府の成立と将軍家の深い観音信仰にあったといわれている。すなわち頼朝が将軍であった頃、その気運が起こり、実朝のときに機が熟して制定されたのではあるまいかというのである。

 ~(中略)~
室町末期には西国、秩父と合わせての「百観音札所」巡礼が行われるようになると、坂東札所も一段と賑わいを増し、江戸時代の盛況へと移っていった。
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ということで、起源は上記のようですが、源頼朝・実朝の信仰が最も影響があったようです。室町時代ぐらいから一般の方々の霊場巡り参加がはじまり今に至っているようです。

実際、4か月ぐらいかかりましたでしょうか。初夏からの思い出深い巡礼となりました。特に3.11も起きて、関東はどうなるんだろう?と思いがあり、もし関東に何かあったら、坂東霊場巡りもできなくなる、という随分消極的なもちべーションもありました。ですが、私個人で何ができるというものでもありませんが、このように関東を囲うように祈りをしていくことは、一つ思い出すことがあります。それは全国に地名が残っている、国分寺の存在です。あれは日本を守る結界の意味がありました。


(参考 Wiki様:国分寺)


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国分寺(こくぶんじ)は、741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院であり、国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)に分かれる。
正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」。なお、壱岐や対馬には「島分寺(とうぶんじ)」が建てられた。
『続日本紀』『類聚三代格』によれば、天平13年(741年)2月14日(日付は『類聚三代格』による)、聖武天皇から「国分寺建立の詔」が出された。その内容は、各国に七重塔を建て、金光明最勝王経(金光明経)と妙法蓮華経(法華経)を写経すること、自らも金字の金光明最勝王経を写し、塔ごとに納めること、国ごとに国分僧寺と国分尼寺を1つずつ設置し、僧寺の名は金光明四天王護国之寺、尼寺の名は法華滅罪之寺とすることなどである。
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この、金光明最勝王経(金光明経)というお経は最強のお経の一つと言われる一つです。国を守る、護国三部経、『法華経』『仁王経』『金光明経』の一つ。我が家の神殿に実は備えてあります。顕教経典ならが密教経典とも言われ、強い呪力を持つという経典です。聖武天皇は全国に国分寺を作り、日本をこの経典を唱えて結界をはっていたのでした。しかし、今は昔です。。。。

できれば、関東を、いや日本が無事でいてほしい、そういう気持ちががどこかしらにありました。しかしながら所詮は在家。何の高度な作法は知らない。でも、一縷、弘法大師から連なる結縁灌頂の血脈と阿闍梨から伝授頂いた作法がある。巡礼してみよう!
とはいいつつ、やりはじめると段々と心が晴れていく気がしました。

このご朱印帳は単なる帳面ではありません。ご本尊の御影も挟んでいき、これ自体がご本尊的なパワーアイテムと化すような気がします。

坂東三十三観音霊場  納経帳

このご朱印が趣があってまた素晴らしいですよね。お寺によってはお坊様だったり、寺族の方だったり、専属の給仕されている一般の方がやっている場合や、ご住職自らやっていただいたりする場合もあります。ご朱印をいただき、御影を買っていきます。それぞれ一部300円程度です。

坂東三十三観音霊場  杉本寺 ご朱印

坂東三十三観音霊場  杉本寺 御影

ご朱印の云われですが、浅草寺で書いていただいた際に、ご朱印を乾かすための紙に丁度、ご朱印についての説明があったので引用させていただきます。
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~(中略)~

元々は「納経」と呼ばれ、その由来は参拝者がお経を書写して寺社に「お納め」することに始まっております。ですから昔は納経帳の右肩のところに「奉納大乗経典」と書かれておりました。現在では、「奉拝」という文字になっております。
いつの頃からか、この作法が簡略化されて、お写経を納めなくても参拝の証しとして「ご判」を頂くことことになって今日に及んでおります。そして各霊場を巡拝する巡礼信仰と結びついて盛んになりました。これは観音三十三札所あるいは四国八十八カ所を巡礼し、その全部の霊場から「ご判」をいただくと、その功徳によって地獄に落ちないばかりか諸願も成就するという古来の信仰に基づいているものです。 ~(中略)~
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こちらは浅草寺ですね。ついでに花屋敷にいってみました。先は長いです。エリアごとにお参り+観光しないとやっていられません。

浅草寺

浅草花やしき 入口

浅草花やしき ノスタルチックな乗り物たち

坂東霊場は時折、バスツアーの集団にあうこともありますが、お寺の人と談笑なり、何となしに会話をすることはありましたし、労いの御言葉をいただくこともありましたが、霊場巡りしている方同士の会話というのはあまりありませんでした。こちらも任意の日程ですし、あまりに広大な霊場ですので、遭遇率が低いというか。
一応、本殿内には入れる場合には、お寺の方に一言お話ししてから入ります。きっちり、勤行していきます。大きな本殿内にお経が響き渡ります。たまに、バスツアーの団体が後からきてしまい、こちらと被ることがありましたが、待っていただいたり、逆にこちらが待つこともありました。譲り合いの精神ですよね。
妙な雑念が消えていき何かしら暖かさというか気というか本殿の先から何かを感じるような、それが自分の中からきている物なのか。必ず終わると清々しさがあり、凛凛と力が湧いているのを感じました。

各県毎に連続して、数件の寺を回ります。大体10時ぐらいに着くようにして遅くても16時ぐらいには終了するように段取ります。
段々とご朱印帳が埋まっていきます。はじめは終わるのかよ?と思っていたのに、気が付けば進み、終わりが近づいてきます。

こちらは神奈川県、長谷寺。

坂東三十三観音霊場  長谷寺

こちらは栃木県 宇都宮市の大谷観音。

坂東三十三観音霊場  大谷観音

続いて、栃木県の出流山満願寺。お寺も感動ものですが、こちらは門前町の蕎麦街が超お勧め。一合蕎麦など、大きなざるに4人前とか圧巻。

坂東三十三観音霊場  満願寺

いつも引き合いに出す、日光の中善寺。ここの千手観音は霊験深いようです。ある方が仕事も全て崩壊し莫大な借金を抱え、自殺しに、華厳の滝に向かう途中。観音様を思い出し、ここに立ち寄ったとか。もう、この世にいても仕方ないと、最後の御祈りだと、祈ると急に心に言葉が響いたとか「死んではいけない!生きるのです!」と。その後、この方は腰を抜かしたようですが、とりあえず死ぬ気はなくなり、戻って、仕事をやり直し借金は返済、成功。十数年ののち、ここを訪れ、一生懸命祈っていると、住職がどうしてそのようにご信仰厚いのか?とお話しになり本件を話されたようです。凄い話ですよね。

坂東三十三観音霊場  中善寺

坂東三十三観音霊場  千手観音本堂

こちらは茨城県 筑波山の大御堂ですね。

坂東三十三観音霊場  大御堂入口

坂東三十三観音霊場  大御堂

ケーブルカーで山頂にも。

筑波山山頂 ケーブルカー

筑波山山頂 空が近い

筑波山山頂 石碑

いちご狩りにもついでにいきました。

つくば いちご狩り

坂東霊場では不思議なこともありました。ある時、筑波山麓の青龍寺に行った際の出来事。本殿はこちら。納経所も地元の方が運営されており、特に前もって意識もしていなかったのですが。

坂東三十三観音霊場 青龍寺 裏パワースポットか?

本殿にて勤行をはじめると、青天の空が一転して、強風が吹いてきました。お経が観音経に差し掛かると更に、一転して黄色い雲が天を覆いました。こりゃなんだ?あまりに我々の勤行タイミングと同じじゃん?何かスイッチ入れちゃった?wと思いつつ、こりゃ、龍神が感応されいるのかな?だったらしっかり続けねば!と唱え続けました。終わるころ風は不思議とやみました。空は一面真っ黄色。数時間そのエリアはそんな状態でした。何だろこれ?とびっくりでした。ただ、思ったのは、明らかに筑波山や神仏が感応してくれたということ。結縁灌頂を受けた上に、ちゃんとした大阿闍梨に伝授作法やご真言の伝授を受け、如法に(作法通りに)やっているとこういうことが起きるんだ、と思うしかありませんでした。

勿論、各地の温泉もググって突入するというのも必須ですw

こちらは群馬県の水沢観音。

坂東三十三観音霊場 水沢観音入口

坂東三十三観音霊場 水沢観音本堂

やはり水沢うどんでしょうw

坂東三十三観音霊場 水沢観音前 水沢うどん

春から初めて、暑い日が多かったのですが、暑い中で勤行していると、お経を唱えながら額から汗が噴き出てきて、喉もカラカラですし、辛い!と思った瞬間、ふ~っと何故か本殿からそよ風が吹いてきて、癒されることが何回かありました。これも神仏の歓迎なのかと思いました。寺社仏閣に行った際の風とかって、兆候の一つとして何かありますね。

最後は千葉県、房総半島のお寺のみとなりました。宿泊して一気に終わらせます。丁度、台風にあたってしまいましたが、強風の中でも猛然と巡り続けます。不思議なことに、寺にくると晴れ間がきて、異動時に雨が降るという状況が続きます。何かしら神懸っています。

ついに、最終の寺です。房総半島の南端。時間が遅かったのですが、最終であることを告げると、ご厚意で閉まっていた本殿にいれてくれました。

坂東三十三観音霊場 最終の寺 那古寺 本堂

最後の勤行です。ふっと、心が軽くなり「あれ?関東大丈夫じゃない?何だろ妙なバイアス受けていたかな」という、何かしら解放された感覚が。納経所、これが最後と思うと少し切ないですね。

坂東三十三観音霊場 最終の寺 那古寺 納経所

ついに満願です。

坂東三十三観音霊場 ご朱印帳 結願

お寺の展望台から夕日を眺め、満願証を手にしつつ、南無日本国一切諸神善神と感謝します。

坂東三十三観音霊場 最終の寺 那古寺 結願の海絶景

坂東三十三観音霊場ついに満願!さあ、あとは西国三十三観音霊場のみです。近場の海鮮市場で焼き魚などで腹を満たし、遠く、東京湾を挟んだ黄金色の富士を眺めつつ岐路につきました。

坂東三十三観音霊場 魚市場 焼き魚

引き続きよろしくお願いいたします。

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